武士というものについてです。
今回のアップデートで新たに平安第3章が追加されました。
源頼光(みなもとのよりみつ)。
平安時代中期の方で、清和源氏の3代目。
父の満仲が摂津国多田に領地を拝領したことから摂津源氏・多田源氏とも呼ばれます。
さらに、清和源氏からは摂津源氏のほかに河内源氏・大和源氏」が起こります。このうちの河内源氏から、源頼朝が出てきます。
こんな話を聞いてると、わけがわからなくなりませんか?そして、そもそも源氏の初代って誰やねん?みたいに興味出てきたりしませんか?その辺が昂じてくると、そもそも武士の起こりってどこからやねん?ってなりませんか?なりませんか(笑)
そのあたりについて、昔から考えていたことを少しまとめてみたいと思います。
時は平安、貴族の世の中。
天皇を戴き、貴族が政を行う時代です。
当時の土地の所有権に関する法律は、
「公地公民制(645)」→
「三世一身法(723)」からすでに
「墾田永年私財法(743)」
が制定されて久しく、開墾した土地を私有することができるようになったので、農地は広がり国力は高まります。
開墾により富を蓄えたその土地土地の有力な地主へと成長していき、農地を集めて農園を経営していくようになります(自墾地系荘園)。
同時に貧富の差がはっきりと出て、自らの土地も守れなくなった貧農層が夜逃げしたりします(逃散)。
ところで、収穫物に対しては「税」がかかってきます。
当時の税の最たるものは当然ながら「米」。
都から赴任してきた地方任官である、強大な権限を持つ国司(こくし)や受領(ずりょう)が取り立てに来ます。
ただし、この時代、貴族や寺社には税がかかりませんでした。
ですので、当時の富豪農である田堵(たと)は、せっせせっせと貴族や寺社に寄進して税から逃れるようになります。
これが荘園(寄進地系荘園)の始まりです。
この、当時の富豪農である田堵が武士の起こりの一つとされています。
つまり武士とは、
開墾された私営田の「開発領主」
であり、
国司や受領に対抗するため、また、配下の農民を支配するために「武装した大農園主」
とする定義で、これを「下から上の」組織化なんて言ったりします。
ただこれだけが武士の起こりではありません。
その他にも
・中央の名家だった人が、地方へ土着して勢力圏を築いた(奥州藤原氏・土佐一条氏など)
・元から中央政府と関係なく、独自の勢力になっていた(東北の安倍氏・清原氏など)
・荘官や郡司が武装した
などが挙げられます。
ただやはりもうひとつの大きな起こりが
「上から下」的に発生した武士団です。
これがいわゆる源氏や平氏と言われたりしますし、本来はこの起こりのことを書くつもりでしたが、さすがに長くなりましたし、ええ加減フィーバーが来そうなのでここまでにて。
