いろいろありすぎて全然更新できなかった・・・
というわけで、10日以上も前のことを書くことになりました。
これからしばらくは遡った出来事になりそうだな
今月の14日から22日までの間、宮城県多賀城市に避難所の支援をしにいくことになりました。
現在も被災地には、全国の県や市町村から様々な形で復旧のお手伝いをしています。
↑僕も大荷物を担いで新幹線に乗り込みました。
たくさんの着替えや、靴や、パソコンなどを詰め込んだので重たい。
ちなみに、この時は母親に名古屋駅まで車で送ってもらったのですが
その帰りに僕のジムニーのタイヤがパンクしたそうです。帰りで良かった・・・
朝9時前の新幹線に乗って、東京まで行き、東北新幹線に乗り継いで仙台へ。
着いたのは午後1時過ぎ。
↑仙台駅も被害を受けており、天井は外されたままでした。
その後さらに東北本線に乗り換えて多賀城市の陸前山王駅へ。
まわりは田んぼが広がる駅でした。
そして、その駅を降りてすぐの所にある公民館が避難所になっていました。
↑この避難所は震災直後から開設されていて、今までもいろんな人が運営の支援に来ています。
で、そこから8日間、避難所の運営のお手伝いをしたわけです。
ご飯の用意をしたり、物資の整理をしたり、風呂の準備をしたり・・・
いろいろでした。
あの震災からもう4か月。
この避難所は、最初は1000人近くの人が詰めかけたそうですが
僕が行ったときには20人を下回っていました。
復興の動きも着実に進んでいるせいだとは思いますが、もちろん全てが元通りになるのは
まだまだ先になると思います。
やらなければならないことがたくさんあって、少しずつそれを乗り越えていくしかないんだろうな。
わかっていることなんだけど、実際に行動に移すのは簡単ではありません。
8日間の支援の中で、いろいろな体験をしてきました。
避難所での事、被災地の海辺を見たときの事、実際に体験した人から聞いた話の事。
やはり実際に目の当たりにしたことはもう二度と忘れられません。
ってか忘れたらだめなんだよね。これからのためにも。
震災によって被災地がどのような被害を受けたかは、既に何度も報道されているし
現場の詳しい話はここでは書ききれないからもう書かないことにした。
でも、写真を一枚だけ。
↑七ヶ浜町にある看板の写真です。
わかりますでしょうか。枝がひっかかっているのが。
ここの町も津波によって壊滅的な被害を受けていました。
そこにあったであろう住宅街が姿を消していました。
津波の爪痕・・・というよりも、ホントに何も無くなっていました。
宮城県に行っている間、避難所支援の合間をぬって他にもいろいろな場所を見てきました。
写真や映像で見るものとは違い、実際にその場に立つことで多くのことを感じる事ができました。
実は、宮城県に行く前に、職場から現地の情報が来てて、その中に
「避難者と深く関わりすぎないように」とありました。
これをパッと聞いた感じだと「冷たいな~」って思ったんだけど、
震災直後は被災された方の気持ちを考えると、むやみに接しすぎるのも
問題があることなのかもしれません。
ですが、僕が行った避難所にいた人たちとは、普通に接してきました。
逆に話しすぎるくらい、普通の事とか、仙台の街のこととかを聞いてきました。
みんなとても明るくて、被災したことを感じさせないくらい。
実際、前に支援に来てた人たちはあまりしゃべったりしなかったらしく
「前のやつらはだめだ。支援してやってるとでも思ってるのだろうか」って言ってた。
もちろん、全員がこのように感じていたわけではないだろうし
軽はずみに話しかけて逆に傷つけてしまうこともあったかもしれないから、なんとも言えないけど
やっぱり考えさせられる部分かなって思った。
よし、あとは少し楽しい話。写真をご覧あれ。
↑キレイな夕焼けが見られました。
こういう空大好きだ。
↑避難所を去る日に撮りました。
みんなの思いが詰まった看板です。
↑これ、僕の上司。課は違うけど。
僕の入れ替わりで支援に来ました。
僕の町からは1人ずつ5人が交代でこの避難所に支援に来ました。
仲良しでございます。
この後、避難所を後にし、仙台駅前のホテルに泊まりました。
地元には翌日の早朝の新幹線で帰るからです。
仙台といえば牛タン
駅でおみやげ用の牛タンを7000円分くらい買った・・・
職場のおみやげに笹かまも
ホテルに大量の荷物を置いて、街へ繰り出します。
さっそく牛タンの店へ。
↑この店に来てみました。
↑店員さんに「歯ごたえが楽しめるやつを!」って頼んだら
この定食を勧めてくれた。もちろんビールも注文
↑厚切りの牛タンらしい!舌の先っぽって言ってたかな?
柔らかい部分で、限定なんだってさ~
食べてると、店員のお姉さんが
「どうですか~?仙台の牛タンは??」
って優しく聞いてくれた。
一人寂しくカウンタで食べてたから気をつかってくれたのね
正直このボリュームにやられていて、食べるのに必死だったけどもね
あっ
味はもちろんウマい。分厚いから歯ごたえもよし。ビールもうまい。
また行きたいな~
その後は一人で飲み屋に入っていきました。
↑避難所は酒禁止だったので、少し飲んだだけで酔っぱらった。
これはサングリア。
それにしても最近一人で酒飲むことに抵抗が無くなってきたな・・・
むしろ楽しいぞ
さらに店をはしご。
ホテルの前に怪しげなショットバーがあったから入ってみた。
最初はビール飲んでたけど、カウンタに果物が並べられていて
それを使ってカクテルも作ってくれた。
↑「キウイを使ったやつをおねがいします」って頼んだら
すげーおいしいのを作ってくれた。洒落乙だ
そんなこんなで夜も更けて、ホテルにもどり朝まで熟睡。
避難所では朝4時半に起きて動いてたから眠い眠い。
で、次の日の朝、三重に帰りました。
ちなみに、この日の夜から富士山へ行く予定。
富士山の話はまた次回
というわけで、10日以上も前のことを書くことになりました。
これからしばらくは遡った出来事になりそうだな

今月の14日から22日までの間、宮城県多賀城市に避難所の支援をしにいくことになりました。
現在も被災地には、全国の県や市町村から様々な形で復旧のお手伝いをしています。
↑僕も大荷物を担いで新幹線に乗り込みました。
たくさんの着替えや、靴や、パソコンなどを詰め込んだので重たい。
ちなみに、この時は母親に名古屋駅まで車で送ってもらったのですが
その帰りに僕のジムニーのタイヤがパンクしたそうです。帰りで良かった・・・
朝9時前の新幹線に乗って、東京まで行き、東北新幹線に乗り継いで仙台へ。
着いたのは午後1時過ぎ。
↑仙台駅も被害を受けており、天井は外されたままでした。
その後さらに東北本線に乗り換えて多賀城市の陸前山王駅へ。
まわりは田んぼが広がる駅でした。
そして、その駅を降りてすぐの所にある公民館が避難所になっていました。
↑この避難所は震災直後から開設されていて、今までもいろんな人が運営の支援に来ています。
で、そこから8日間、避難所の運営のお手伝いをしたわけです。
ご飯の用意をしたり、物資の整理をしたり、風呂の準備をしたり・・・
いろいろでした。
あの震災からもう4か月。
この避難所は、最初は1000人近くの人が詰めかけたそうですが
僕が行ったときには20人を下回っていました。
復興の動きも着実に進んでいるせいだとは思いますが、もちろん全てが元通りになるのは
まだまだ先になると思います。
やらなければならないことがたくさんあって、少しずつそれを乗り越えていくしかないんだろうな。
わかっていることなんだけど、実際に行動に移すのは簡単ではありません。
8日間の支援の中で、いろいろな体験をしてきました。
避難所での事、被災地の海辺を見たときの事、実際に体験した人から聞いた話の事。
やはり実際に目の当たりにしたことはもう二度と忘れられません。
ってか忘れたらだめなんだよね。これからのためにも。
震災によって被災地がどのような被害を受けたかは、既に何度も報道されているし
現場の詳しい話はここでは書ききれないからもう書かないことにした。
でも、写真を一枚だけ。
↑七ヶ浜町にある看板の写真です。
わかりますでしょうか。枝がひっかかっているのが。
ここの町も津波によって壊滅的な被害を受けていました。
そこにあったであろう住宅街が姿を消していました。
津波の爪痕・・・というよりも、ホントに何も無くなっていました。
宮城県に行っている間、避難所支援の合間をぬって他にもいろいろな場所を見てきました。
写真や映像で見るものとは違い、実際にその場に立つことで多くのことを感じる事ができました。
実は、宮城県に行く前に、職場から現地の情報が来てて、その中に
「避難者と深く関わりすぎないように」とありました。
これをパッと聞いた感じだと「冷たいな~」って思ったんだけど、
震災直後は被災された方の気持ちを考えると、むやみに接しすぎるのも
問題があることなのかもしれません。
ですが、僕が行った避難所にいた人たちとは、普通に接してきました。
逆に話しすぎるくらい、普通の事とか、仙台の街のこととかを聞いてきました。
みんなとても明るくて、被災したことを感じさせないくらい。
実際、前に支援に来てた人たちはあまりしゃべったりしなかったらしく
「前のやつらはだめだ。支援してやってるとでも思ってるのだろうか」って言ってた。
もちろん、全員がこのように感じていたわけではないだろうし
軽はずみに話しかけて逆に傷つけてしまうこともあったかもしれないから、なんとも言えないけど
やっぱり考えさせられる部分かなって思った。
よし、あとは少し楽しい話。写真をご覧あれ。
↑キレイな夕焼けが見られました。
こういう空大好きだ。
↑避難所を去る日に撮りました。
みんなの思いが詰まった看板です。
↑これ、僕の上司。課は違うけど。
僕の入れ替わりで支援に来ました。
僕の町からは1人ずつ5人が交代でこの避難所に支援に来ました。
仲良しでございます。
この後、避難所を後にし、仙台駅前のホテルに泊まりました。
地元には翌日の早朝の新幹線で帰るからです。
仙台といえば牛タン

駅でおみやげ用の牛タンを7000円分くらい買った・・・
職場のおみやげに笹かまも

ホテルに大量の荷物を置いて、街へ繰り出します。
さっそく牛タンの店へ。
↑この店に来てみました。
↑店員さんに「歯ごたえが楽しめるやつを!」って頼んだら
この定食を勧めてくれた。もちろんビールも注文

↑厚切りの牛タンらしい!舌の先っぽって言ってたかな?
柔らかい部分で、限定なんだってさ~
食べてると、店員のお姉さんが
「どうですか~?仙台の牛タンは??」
って優しく聞いてくれた。
一人寂しくカウンタで食べてたから気をつかってくれたのね

正直このボリュームにやられていて、食べるのに必死だったけどもね

あっ
味はもちろんウマい。分厚いから歯ごたえもよし。ビールもうまい。
また行きたいな~
その後は一人で飲み屋に入っていきました。
↑避難所は酒禁止だったので、少し飲んだだけで酔っぱらった。
これはサングリア。
それにしても最近一人で酒飲むことに抵抗が無くなってきたな・・・
むしろ楽しいぞ

さらに店をはしご。
ホテルの前に怪しげなショットバーがあったから入ってみた。
最初はビール飲んでたけど、カウンタに果物が並べられていて
それを使ってカクテルも作ってくれた。
↑「キウイを使ったやつをおねがいします」って頼んだら
すげーおいしいのを作ってくれた。洒落乙だ

そんなこんなで夜も更けて、ホテルにもどり朝まで熟睡。
避難所では朝4時半に起きて動いてたから眠い眠い。
で、次の日の朝、三重に帰りました。
ちなみに、この日の夜から富士山へ行く予定。
富士山の話はまた次回
