春服買わなくては。全然無い。


あー人恋しくなる季節…なのか。

なんか会いたいんだけど、私が想像してるような男では確実に無いし、私コミュ障だしなぁ、まぁ四年も家族以外まともに話せなかった時期があるくらいだから、仕方ないのは仕方ないんだが、あぁいつになったら治るかな。ていうか治らないのかな。最悪引きこもりが四年だったので、今のままの生活を四年続ければまともなコミュニケーションを育めるまともな人間になれると信じているんだが。

あぁ誰かと笑ったり、誰かと話している時でも、自分の斜め上からまた自分が自分を見下ろしているような感覚がする。私の中に居るのが本当の私じゃなく、斜め上から見下ろしてる私が本当の私で、人と接する形をしたロボットを操ってるみたいな感覚。例え笑っていようと何処か冷めてる部分があって、“あぁ笑ってるわぁ。うまく楽しそうに笑えてるのかなぁ”と考えてしまってる。異常だよね。


でも人の温もりを感じてみたい。心が満たされるってどんな感覚なの。愛してる人が隣に居て、私を愛しく思ってくれてるって、どんだけ幸せなことなのか味わってみたい。


でも私は今は一人なんだよね。


今もじゃなく、これからもだったりして、あーこわ。



何かを望めば辛くなるだけだから、何も望まないし求めないようにしてるが、たまにさみしくなるよ。


でも一旦その温もりや幸せを味わうと失った時の辛さに耐えられないだろうし。


ただ一方的に好きでいるだけでこんなに辛いのに。



あー暗すぎる。



何かに依存するのはよくないよ、特に人に依存するのは。一番危ない。何もかも壊れてしまう。




最近私は恋愛したら病むだけなんだと悟った。私男にどんだけ愛を求めても絶対にくれずに、いつも周りの子供達を羨ましそうに見て育ってきたから、もう子供って言えなくなってきた歳になっても、やっぱり男なんてどれだけ私が好きでも最初だけ良いようにして、すぐに飽きて私を捨てて逃げるんだろう、って。その考え方がどうしても染み付いて離れない。



でも一度で良いから味わいたい、安心感を。



小学生の頃に、母親がチンピラかぶれのDV男から乗り換え、スナックに客として来てた真面目で誠実そうな男の家に転がり込んだが、その男が私の寝室に来てジブリのビデオを見せてくれ、布団をかけてくれ「おやすみ」って言ってくれた、たったそれだけのことなのに、当時の私はたまらなく幸せでものすごくその日は安心してグッスリ寝れたことを覚えてる。

多分DV男からやっと逃げ出せた安堵からもあるだろうが、まだ7~8歳くらいなのに、こういうのが幸せって言うんだろうなっと思った記憶がある。


今でもあれ以上に幸せな気持ちを今後味わえることは無いと思ってる。

平凡がどれだけ幸せか。


まぁその真面目で誠実そうな男も私が中学校に入る時に出会い系の女とデキて出て行き、しかもその男は妻子持ちで母親が寝とって離婚させたことを知り、その男のイメージが崩れてしまったんだが、あの男と居て幸せだと思った時期があったのは紛れもない事実だ。



あの頃のような感覚をもう一度味わいたいが、いつかはまた失うと私は苦しいくらいにわかってるので、やっぱりまた病んでしまうんだろう。


あぁ、母親があんな男好きじゃなく、まともな母親なら、今頃私は男に対して無駄に警戒心や、いちいち気持ちを探るようなことせずに、真っ正直から愛せていたんだろうし、そうしたら男も真っ正直から愛してくれていたんだろう。



どうしてこう、何もかも、相手の気持ちを探ろうとし過ぎてしまうんだろう。ちょっとしたことで嫌われたと思い込んでしまうんだろう。


そういうことを思うから相手に嫌われるんだというのに。


考えないようにする努力って大変だよね。




なんでこんなにさみしいんだろう。