「誇り高き決断」


右すねの怪我を押しての強硬出場だったーーー。
フリーの演技中に右手を負傷しまさに満身創痍。
それでも観客の声援に応えるため、男は舞い続けた。



こらえようにもこらえられなかった。

演技が終わった瞬間、何かを押しとどめるように表情をゆがめた高橋大輔は、リンクをあとにすると、涙を抑えることができなかった。右手の指のあたりは真っ赤な血で染まっていた。

12月21日に開幕した全日本選手権の会場、さいたまスーパーアリーナは、日本フィギュアスケートの大会では史上最多となる1万8000人余りの観客の熱気が渦巻いてた。

ソチ五輪、日本代表の最終選考会である。緊張を隠せない選手たちを後押しするように、選手の名前がコールされると、そのたびにはくしゅが沸き起こる。

なかでもひと際大きな拍手と歓声で迎えられたのは、高橋大輔だった。6分間練習や演技のたびに、白地に赤い文字で「D1SK]と記されたタオルが揺れた。いやそのたびに会場全体も揺れているようだった。


熱狂に包まれ、12月21日、ショートプログラムを迎える。11月上旬のNHK杯で完璧に演じきった「バイオリンのためのソナチネ」。だが冒頭の4回転トウループは両足着氷となり、2つ目のジャンプのトリプルアクセルで転倒する。

「自分では降りたと思って、次に行こうと思ったらこけてしまいました。正直焦って、立て直すのが難しかったので、(その後)どう言った演技だったかは覚えてないです」

悔しそうな表情で演技を振り返った高橋は、こうも言った。


「プレッシャーだったり緊張感に負けてしまった自分が、演技として出たと思うので、気持ちの面で負けてしまったんじゃないかなと。すごく情けない」

取材に応じる中で「情けない」を一度ならず繰り返した。

「今日の悔しい気持ちを明日につなげていけたらと思っています」

気持ちを引き締めるように、毅然と語った高橋は、翌22日フリーを迎える。




この日ショート以上の緊張感をみなぎらせた高橋は、最終グループ中4番目に登場する。「ビートルズメドレー」の世界を伝えようと気持ちを集中する。

身体はショート以上に動いていた。だが、二つの4回転ジャンプはともに失敗するなどミスも少なくはなかった。

リンクを降りた高橋は泣いた。



「自分の演技が出来なかったのでそれが一番悔しい」少ない言葉で悔しさをあらわにした。

「スケート人生の中で、一番厳しかった全日本でした。もっと出来る自分があるのではないかと思っていたのにーーーーー」


手の怪我についてはこう答えた。

「1本目の4回転でこけた時かな、鼻水かと思ったけど、触ったら赤かった」

ショートの時と同じ言葉をふたたび、口にした。

「情けなかった」

ショートフリーを通して悔しさを見せるとともに、何度も何度も、自分自身を責め続けた。



「完治できなかった右足で四回転を跳ぶべきなのか。」


しかしーーーーー。右足に脛骨骨挫傷の怪我を負ったのを公表したのは11月28日のことだった。リンクに立てない日々が続き、氷上での練習を再開したのは12月6日。そこから2週間。調整不足は否めなかった。


実際のコンディションは、調整を問われる様なレベルではなかった。


「完治はしてないです」

高橋は自ら怪我について話そうとはしなかったが、試合の前に問われて答えた。

本来ならば棄権すべき状態であったかもしれないが。それでも五輪選考がかかった試合を回避するわけにはいかなかった。

すべての演技を終え、負傷について口を開いた。

「(怪我の影響が)なかったとは言えません。不安や、ここで逃げてる自分がいたかもしれない」

エースは敗因を怪我に帰することなく、こう続けた。

「何とも言えないですけど、昨日、今日、これが僕の実力だと思う」



真っ赤な目でミックスゾーンに現れた長光歌子コーチの、高橋に対する言葉はあたたかかった。


「正直あと1週間は欲しかったです。これが全日本なんでしょうね。ここまで来れると思わなかった。無事滑り終えて『お疲れ様』と言いたいです。最大限の努力をして、まわりもいっぱい助けてくれて良かったと思います」

ショート、フリーを改めて振り返れば、例えば4回転ジャンプを外すか、回数を減らして臨む選択肢もあっただろう。

選考会で表彰台を確実に狙うのも戦略として間違いではない。それは「今できることを尽くす」と言う目標からも外れていない。

高橋も長光コーチからは「(フリーは)1回でいい」と言われていたという。

だが高橋は果敢に2度、挑んだ。4回転ジャンプに挑まずにはいられなかった。


「僕自身の気持ちで跳びました」


思えばいつもチャレンジし続けてきたのが高橋である。決してそのスタンスを変えずに今日まで来た。

今できること以上のことに挑んだのは、日本のエースである自覚ではなかったか。

3度目のオリンピックシーズンの全日本選手権は5位に終わった。

しかし、怪我を決して言い訳にしようとはせず、誇り高き姿勢を貫いた今大会は、きっと次につながる。糧になる。

                            Number844より




( 動画お借りしました )













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一日も早く怪我が完治しますように、、、アップ