スクラップ&スクラップ
| 動画投稿サイトに政見放送、選管「法に抵触の可能性」 |
[Yahoo!ニュース ]
もうすぐ統一地方選挙でございます。日中は選挙カーのお陰で安らげなくなってきました。
さて、ニュースになっているのは都知事選の政見放送 です。
利用者が急増しているインターネットの動画投稿サイトに、
東京都知事選(8日投開票)の立候補者の政見放送や街頭演説の映像が投稿され、
いつでも自由に見られる状態になっている。
公職選挙法で決められた方法以外で選挙演説を放送してはいけないのです。
まして、いつでもどこでも見られるインターネットにその映像を流すなんて、問題外です。
それが今現実に起こっているのですから、恐ろしいことです。
ある特定の候補者の演説ばかり多くも人が目にするようになってしまえば、
これは公正な選挙でなくなってしまいます。
記事には書かれていませんが、この「映像」というのはほとんど外山恒一 氏のものでしょう。
3月25日にテレビ朝日の「東京都知事選挙政見放送」で演説した映像が
ここ最近、インターネットで話題を呼んでいます。
[Youtube ]
テレビでの「東京都知事選挙政見放送」は見ていないのに、
ネット外山氏の演説だけは見た、という人が大勢いるわけです。
都選挙管理委員会も、これを「公選法に抵触する可能性もある」と語っています。
しかし、この映像がインターネットで出回っていることより、
この演説を放送してしまっていることの方が問題では、という気もします。
候補者の意志を「公平に」有権者に伝えるのも大事なことでしょうが、
この時代にこんなに面白い映像をテレビで放送しておいて、
後になって「困ります」と言われても、もう手遅れですね。
さようならティファニー
[Yahoo!ニュース ]
◇…日本一長い駅名の一畑(いちばた)電車北松江線「ルイス・C・ティファニー庭園美術館前駅」(松江市)が、その座を明け渡すことになりそうだ。31日に美術館が閉館、4月末には駅名が変わるためだ。
2001年にこの「ルイス・C・ティファニー庭園美術館前駅」が誕生したことで、
それまで日本一だった「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」は敗退しました。
このことに悔しい思いをした人もさぞ多いことでしょう。
しかし、これで晴れて返り咲きです。なんとも喜ばしいことではありませんか。
◇…トップになるとみられるのは、2位の「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」(熊本県南阿蘇村)だが、運営する南阿蘇鉄道は「狙ってなるなら素直に喜べるが…」。
どうも、当事者はそう嬉しくもないようです。プライドが高いのですね。
いかにも日本一を狙ってつけたような名前ですが、繰り上げの日本一など、面白くもありません。
転がってきたチャンスに興味は無いのです。そう、自分から掴みに行ってこそのチャンスです…。
[関連項目]
女性だけの島=希望の島
[excite ニュース ]
イラン北西の州が地元観光を盛り上げるため、「女性しかいない島」を作ることを計画している。
「Arezou(希望)島には女性だけが住むことになるでしょう。
公共交通機関、レストラン、その他施設は全て女性によって運営されます」
観光がどう盛り上がるのかはわかりませんが、女性しか居ない島を作りたいようです。
島に男性が立ち入ることを法律で禁じたりするのでしょうか。
女に飢えた男が攻め込んで来たらどうするのだろう、とか、
子供でも男は住めないのか、とか色々と気になってしまいますが、
日本人ではわからないことも色々とあるのでしょう。
そういえば「好色一代男 」の最後で、60歳の世之介は好色丸という船に乗って女護が島へと渡ります。
この女護が島こそまさに「女性だけの島」であり、世之介にとっての「希望」だったのでしょう。
このArezou島は誰にとっての「希望」の島となるのでしょう。
役所の観光課でしょうか?
動物の苦しみの阻止のためにレタスビキニ
[excite ニュース ]
レタスの葉のビキニ以外何も身につけない姿のイギリス人動物愛護運動家ふたりが12日、凍えるような寒さの中、カザフスタンの人々に馬を食べるのを止めてベジタリアンになるよう訴えた。
ベジタリアンも、勝手にやっていてくれる分には構いませんが、こう押しつけがましいと迷惑です。
しかし「レタスの葉ビキニ」は気になりますね。写真が無いのがとても残念です。
もしかしたら、イブさん みたいな刺激的な格好なのでしょうか。
熊本でも馬刺を食べます。教えてあげたら日本にも来てくれましょうか。
プラスチックのレタスの葉で作った緑のビキニとハイヒール姿のテイラーさんと仲間で27歳のルーシー・グルームさんは、カザフスタン最大の都市アルマトゥイで氷点下に近い温度の中、プラカードを振った。「私たちはベジタリアンなので、免疫システムが普通より強いんです」と、テイラーさんはカザフスタンの独立記念碑の正面で、冬のコートを着こんだ報道陣に言った。
なんだ生の葉ではないのですね。別に生かどうかなんて、どうでも良いのですけど。
そもそもイブさんみたいな格好であるはずがありません。妄想はやめてください。
しかし野菜を食べ続けると寒さを感じなくなるのでしょうか。小学生のような屁理屈にも思えますけれど。
鈴の上を跳ねる兎
[Orisinal.com ]
ウサギがベルを駆け昇っていくゲームです。
実に簡単なゲームですが、やはり単純なゲームほど面白いものです。
398470点まで出しました。まだ頑張ります。
綺麗な絵と音楽、なんだか雰囲気が良いですね。
ちなみにこのゲームをやっていて、別のゲームを思い出しました。
Winterbellsと同様に、落ちないように皿の上を跳ね続けるゲームです。
80160点まで出しました。まだ頑張ります。
こちらの音楽はどうも、どこかのRPGの「古い町に入った時の曲」のようですが、
元はラヴェルのピアノ曲「亡き王女のためのパヴァーヌ 」です。
なんだか悲しい由来のありそうな曲名ですが、ラヴェルが語るところによると
「Pavane pour une infante défunte」で韻を踏みたかっただけだそうです。
「飽きない」ゲームには、こういった音楽的要素も欠かせないものでしょう。
【関連項目】
地球の約10倍という大きさを持つわりに
ある小学校の理科室にこういった物が貼られていました。
「世界通信 教材学習ニュース」だそうです。
その内容は「土星を見よう」というもので、土星に関する話題が載っています。
その左下にこのような文がありました。
そのため、地球の約10倍という大きさを持つわりに、重さは地球の95倍しかありません。
例えれば、土星は中身がつまっていない風船のような軽い星なのです。
もし、土星を水に浮かべたとすれば、プカプカと浮いてしまうでしょう。
なるほど、土星というのは水に浮かんでしまうほど軽いのですね。しかし、なんだか変な感じがします。
「地球の約10倍という大きさを持つわりに、重さは地球の95倍しかありません」とは一体?
大きさが10倍しかないのに重さが95倍だなんて、なんだか「大きさの割にとても重い」ようでもあります。
ここでいう地球の「大きさ」というのは「直径」(あるいは「半径」など)のことです。
一次元的に見た場合、土星は地球の約10倍の大きさを持つというわけです。
上図のようにして平面的に見ると、約100倍の大きさに見えることになります。二次元的に見るからです。
そして実際には(ここは三次元ですから)、1000倍の大きさ(体積)を持つというわけです。
わかりやすく、式にしてみましょう。
地球の半径をrとします。土星の半径は10rです。
球の体積の求め方は4/3・π・r3ですから、地球の体積はそのまま4/3・π・r3です。
そして土星の体積は4/3・π・(10r)3ですから、4/3・π・1000r3となり、確かに1000倍です。
(あくまでも、地球や土星を完全な球体として考えた場合です。実際には異なります。)
大人は、計算が思い浮かばなくても、大体このことがわかります。
ですが、小学生はどうでしょうか。この文を見てすぐにそうわかるでしょうか。
「大きさ」という曖昧な言葉を使っているために、この文はとてもわかりにくいと思います。
ただでさえ、小学生は球の体積を求める公式など知りません。
「疑問を持つことで、それが学習意欲につながる」と言われてしまえばそれまででしょうが、
これは単に不親切なだけであるように思います。いいんでしょうか、世界通信社さん。
新学習指導要領では、球の体積や表面積の公式を、高校一年で学ぶことになっているようです。
どんどん遅くなっていますね。これが「良いこと」なのでしょうか。よくわかりません。
ちらまないで
中学生の団体が喋っているのを聞きました。
「今すごいちらまれたんだけど!」
ちらまれる、この言葉を聞いたのは初めてです。
受身の「れる」が付いていますから、「ちらま」は五段活用の未然形ということでしょう。
それから、終止形が「ちらむ」であることを推測できます。
これは(恐らく)、「チラ見」という言葉から生まれた動詞です。
「チラッと見る」から「チラ見」です。連用形で名詞として使われます。
この「ちらみ」が五段活用動詞の連用形なら、終止形は確かに「ちらむ」でしょうが、
「見」は「見る」という上一段活用動詞の連用形ですから、やはり「ちらむ」ではおかしいのです。
考えて創られた言葉ではないにせよ、ある程度の正確さを追求するならば、
受身の形を取るには「チラ見られた」とするのが良いでしょう。
ただし、これではむしろ格好のつかない言葉になってしまう可能性があります。
ならいっそ、「チラ見された」や「チラッと見られた」が好ましいと思われます。
動詞から作られた名詞を更に動詞に戻したために、おかしな言葉が生まれました。
「ちらまれる」には、もはや「見る」という言葉の面影はありません。
それでも人は、初めて聞く「ちらまれる」をなんとなく理解できます。
言葉なんて、そんなものなのでしょう。








