タクシー全面禁煙巡るコラム、中日新聞に抗議40件
 (読売新聞 - 05月10日 03:21)

最近、愛煙家の喫煙権はどんどん駆逐されています。
嫌煙家の私ですら、同情を禁じえない今日この頃ですが、
こいつはいただけません。

まあ、こういうご時勢ですから、
ついつい被害妄想的、ヒステリックになりがちな愛煙家もいるのですが
この中日新聞の常務もその類でしょうか?
とにかく、タバコというものが
愛煙家にとっても、そばにいて受動喫煙を強いられる人にとっても、
有害(健康面において)である以上、
密閉された喫煙スペース以外の公共スペースは
原則禁煙であるべきだと、私は考えます。

ある愛煙家の知人がかつて
「嫌煙権を主張されたら、自分は嫌酒権を主張する」と言っていました。
曰く「酒によって醜態をさらす輩は迷惑だし、
無理に酒を勧められるのは苦痛だ」と。
確かに一理ありますな。

しかし、酔っ払いを見て気分を害すことはあっても、
健康を害すことはありません。
酒は飲み方によっては体にいいですが、
タバコは吸い方に関わらず害になります。
「精神安定剤になる」という声もありますが、妄想に過ぎません。

話はそれますが、飲酒運転に対する規制や世間の目が厳しくなりましが、
タバコに対するマナーは問われても、
車からの吸殻のポイ捨てなどが法律で規制されるという話はないですね。

いずれにしても、喫煙権の行方は
愛煙家の心がけ一つにかかっているというのが、私の主張です。
だから、このコラムを書いた常務さんのような行動は
絶対まずいんだって。おわかり、愛煙家の皆さん。

今日は昨日よりさらに遅い昼食。ほっかほっか亭の竜田めし弁当(380円)。
期間限定らしい。
久しぶりのほか弁だった。

暇な時間に行ったおかげで、竜田揚げが揚げたてだったのはラッキー。
衣が必要以上にクリスピーでなかなかいい。
疲れた脳を刺激してくれたよ。

だけど、掛かってる丼汁が甘過ぎ。
てゆうか砂糖の味が露骨過ぎ。
ほぼ砂糖醤油ぢゃん。
餅食うんぢゃないんだから。

あと、刻み海苔はどうなのかな?
他の料理でもよくあるんだけど、
海苔って個性が強すぎてハーモニーを乱しちゃうんだよね。

斑哲文也。

実はすでに完成していた。
場所は、東京タワーのある芝公園。



噂(!?)と違って、そんなに高くないぞ。
隣の消火器と同じくらいだ。
4~50センチってところか?
ただ、地上高は200メートル以上かっっ。
東京タワーの特別展望台へ行くエレベータ乗り場だから。

去年の紅白以来、大ブレークしている「千の風になって」。
歌っている秋川○史も、毎日のようにテレビに出ている。
原詩はもちろん、新井満による日本語詩も素晴らしいことは間違いない。

偶然見かけたワイドショーか何かで、
新井氏が「私が起こした小さな風を、
秋川さんが大きな風にしてくれました」的なことを言っていた。
たしかに、ブレークのきっかけは紅白だった。
その意味では、秋川雅○の功績に異論はない。

しかし、だ。
秋川氏が、この曲の魅力を十二分に引き出しているか、
プラスαの効果を加えているかと聞かれれば、私は速攻”NO”と答える。

なぜなら、この曲のキモは日本語の扱いにあるにも関わらず、
申し訳ないが、秋川氏は日本語の歌い方が致命的にヘタだ。
仕方がない。彼は本来、カンツォーネの歌手なのだから。
かつて、題名のない音楽会で見たことがあるが、
カンツォーネを歌っている彼は、
日本人離れしたオーラがあってなかなかだった。
だが、日本語に関しては発音も、発声も、言葉の処理も、すべてが頂けない。

秋川氏だけを責めるわけではない。新井氏にも責任がある。
そもそも、メロディーが詩の”言葉”を表現するのに適していないのだ。
その証拠に、新井氏自身の唄もあまり上手くない。

もちろん、新井氏の歌唱力の問題もあるが、
以前、NHKのある番組でこの曲を歌っていた一般の人の方が上手かった。

何が難しいかというと、例えば何も考えないで歌うと
「わったっしの~おっはっかの~前で 泣っか~ないでっくだっさい~」
てな具合になってしまうのだ。
つまり、変な促音が入りやすい上に、日本語のイントネーションとは逆に
助詞など本来弱く発音すべき音が、
ついつい強くなってしまう仕掛けになっているのだ。
(声楽家である秋川氏は逆に、レガートを意識するあまり、
日本語のディクションを失っている)
この曲の難しさはそこにある。

そういう意味では、
この曲が音楽的に素晴らしいかどうかは議論の分かれるところだ。
繰り返しになるが、新井氏による日本語詩の素晴らしさは疑う余地がない。
メロディーも、親しみやすさは間違いなく持っている。
しかし、誰にでも歌いやすいかと問われれば、答えはNOだ。

私が何故、有田焼にあんまり興味がないかというと……
どうやら、染付とか絵を描いた器が好きじゃないんだってことに気づいた。
それに、今回有田に行ってあらためて思ったけど
有田焼の(特に柿右衛門様式とか色鍋島とか)絵柄って
切れがないというか、線に力がないというか
弱っちい感じ(失礼)。

おかんとかは「やっぱり、今右衛門が好き」とかいってたけど、
線が細いのよね、なんか迷いがあるってゆーかさ。
よく言えば「繊細」ってことなのかな。
でも、14代の柿右衛門もそうらしいから、
今の有田がそういう傾向なのかな?
源右衛門は、色遣いや線の感じは好きだったけど
デザインそのものが、中途半端に洋風、中途半端に今風だった。
(あくまで、私の個人的な印象)

あと、陶器は全体的に釉薬をかけ過ぎっていうか、
ミニカーみたいにテカテカ光ってる作品が多かった。
これって、磁器の影響なのかな? それとも、土地柄?
それとも、窯業大学校でそうやって教えてるとか……。

やっぱりおいらは、備前とかの焼締みたいな
ワビサビの作品の方が好きだな。