昨日小学4年の息子と、年齢層幅広く、知らない人はいないと思われるくらい話題沸騰中の、「鬼滅の刃~無限列車編~」を見てきた。
上映開始と同時に、過去最高興行売上を記録したとかでメディアを賑わせていたが、第3週目ともなると少し落ち着いてきたのか、平日でしかも月曜日の夕方ともあって、比較的すいていた。もっとも、コロナ対策の一環で入場制限もかかっているのかもしれないが。
「鬼滅の刃」自体は、第1話から26話までを動画で観て、確かに面白い作品であると感じた。人間の基本的感情の「喜怒哀楽」をうまくストーリーの中に織り交ぜ、飽きさせない。次に何が起こるかをワクワクしながら次を期待する。と同時にいろいろなことを考えさせられる。
主人公、竈門炭次郎の「慈愛」「絶望」。そして絶望から這い上がり「生きる」ということに執着する「たくましさ」。
彼を取り巻く登場人物の言動にも様々な「キーワード」がある。様々な登場人物が様々な考え方で「自己」をもち、ときに成長し、ときに死滅していく。人間の宿敵として設定されている「鬼」も含めて、このストーリーを現実に当てはめてみると、また違った面白さがある。
話は変わるが、10月31日は「ハロウィン」。私が子供のころにはまだこの行事は日本ではこんなにバカ騒ぎになってはいなかったのだが、今ではすっかり日本の季節行事になってしまった。これが終わると「クリスマス」「バレンタインデー」「ホワイトデー」と続いていくが、これらの行事の本質や目的はどれもこれも失われ、「ものが消費される」という経済活動の一端を担う形となっている。そのことが悪いとかいいとかは言わないが、自己としての主体性がそこにあるようには思えない。
「鬼滅の刃」に関しても、この話題性に便乗したグッズが数多く販売され、イベントも企画されている。このストーリーの「良さ」が主体性のないものによって打ち消されてしまわないかが心配だ。