注意※ 長いです。
だいぶ遅くなりましたが北海道自転車旅行の日記書きます。
今回の旅は諸般の事情により当初の計画を縮小して小樽~稚内までの約380kmの旅になりました。
今回の旅に題名をつけるとすれば・・・。
「大雨と風と風邪と共に駆け抜けた北海道!」
ということになりますww
(共に歩んだ自転車。結局荷物は20kg超だった)
(手元はこんな感じ)
○一日目(8月28日・日曜日) 晴れ○
出発前に散髪屋に行って気合を入れるために髪を超短く切りました。そして午後5時ごろ家を出発。フェーリーに乗り場の舞鶴まで親が家族旅行がてら送ってくれるということなので、車に自転車と大量の荷物を積んで出発!
この日は神戸市内にあるホテルに泊まって、南京町でおいしいものを食べ、六甲の綺麗な夜景を見て大満足の一日でした。
○二日目(8月29日・月曜日) 晴れ○
この日は自転車の部品を買う必要が出てしまったので、コーナンによって工具を買って自転車と格闘したりしつつも、神戸でおいしいものを食べたり、温泉に行ったりとコレまた平和な一日を過ごした。
そして、フェリーの出港が深夜0時半なので午後10時ごろ舞鶴のフェリーターミナルに送ってもらった。家族に無事に帰ってくることを約束して、家族は大阪に帰って行った。ここまではあまりに快適に過ごしてきたがここからは完全に一人だ。乗船手続きを終えて、0時15分頃自転車の乗船案内があったので係りの人の指示にしたがって甲板へ自転車を運ぶのだが…。書くと長くなるので割愛しますが、ここで様々なトラブルが発生!!!結局このせいで札幌でホームセンターで裁縫道具を買ってサイドのバックを修理するという羽目になった。
定刻通りフェリーは出港。2等の部屋は寝心地は最悪でなかなか寝付けなかった。しかし、北海道まで自転車も入れて13000円で行けるのだから文句は言えない。
(出発前に一枚)
○三日目(8月30日・火曜日) 晴れ○
フェリーの小樽港着は午後8時半。つまりこの日は一日中海の上と言うことになる。一人の船旅なんて最高に楽しいものと思っていたが…現実はそう甘くなかった。携帯も圏外で使えず、しゃべる相手もいない、デッキに出ても見えるものは水平線だけ、暇つぶしする道具がひとつもないとなるとすることはただひとつ!
ボーッとする!!!
とりあえず2等の部屋は居心地が悪いので↑のベンチで、ひたすら水平線を見ながら10時間くらいボーっとしていた。ここまで来るともはや無の境地だ。この頃から3~4時間待機という事が屁でもないように思えるようになったが、これは後々非常に役に立った。
午後8時ごろ、北海道の町の明かりが見えてきたときは感動した!!!
そして定刻どおりフェリーは小樽港に到着。港と言うくらいだからなかなか繁栄しているものだと思って景気よく船を下りると…。暗い!!!北海道に降り立ったはいいものの今からどこに行けばいいのか分からない。右も左も分からないというのはまさにこのことだ。とりあえず自転車を停めて荷物をしっかりくくりつけていると、フェリーから続々降りてくる大型トラックにひき殺されそうになる。あのときの恐怖は今でも忘れない…。
とりあえず地図を必死に見ながら夜の小樽の街を自転車で走り一日目の宿に無事に到着!ここでは2泊する予定である。
○四日目(8月31日・水曜日) 曇り○
この日は札幌観光をする予定であったが、フェリー乗船の際に事故ってしまったのでホームセンターに行ったりしていたら昼過ぎになってしまった。気を取り直して小樽から電車で札幌まで行く。前々から調べていた札幌ラーメンのおいしい店に直行した!朝から何も食べていないのですごく空腹だったので非常に楽しみにしていたのだが…。店の前に着いた俺に待っていたのはあまりに残酷な現実だった。
「夏季休業します。」
今なら笑えるが、このときはホントに絶望だった。途方にくれてあてもなく周りをぶらぶらして、もう空腹が限界だったので目についたラーメン屋に入った。結局ここのラーメン屋はなかなかおいしく結果オーライというところであろうか。店の店長とも北海道話で盛り上がったりして非常に楽しかった。そして、定番の大通り公園や時計台などを見ながら札幌を満喫して、また小樽の宿に帰って明日から始まる怒涛の自転車ツーリングに備えて早めに就寝するつもりだったが、結局11時ごろに寝た。
(札幌で食べた塩ラーメンww)
○五日目(9月1日・木曜日) 晴れ後雨○
とうとう自転車ツーリングの出発の日だ。この日は小樽~留萌までの約150kmの道のりである。実はこの日は唯一の日中ずっと晴れていた日であったが、実はこの一日が人生で最も辛く苦しい一日となることをまだこの時は知るよしもなかった。
まず4時半に起床。なんだか気分が悪くて朝ごはんを食べれなかった。5時半にホテルを出発。威勢良く走り出して5分後…
「荷物が重すぎるぅぅぅぅぅ!!!」
何を隠そう荷物をフル装備して自転車を走らすのは今日が初めてだったのだが、あまりの荷物の重さにスピードも全くでず、少しの上り坂が非常に辛く感じてしまう。こんな状態でホントに今日は150kmも走れるのかと非常に不安だった。
気分が優れないまま40km走った地点でホントもう死にそうなくらい気分が悪かったので農協の事務所の陰みたいなところで周りの人から白い目で見られながら休んだ。でもこのまま何も食べずに走るのはあまりに危険だと思ったので頑張って食べ物を胃に押し込んだ。45分ほど休憩すると気分がだいぶ楽になったので走り出した。留萌まで後110km。
実はここからひたすら山道が続くき、さらには全長2000m級のトンネルが随所にある…。この荷物なので普通の上り坂でも激坂を登っているかのように辛く、そしてトンネル内では車の轟音と追突される危機感で生きている心地がしなかった。
しかし、唯一癒しだったのはきれいな景色だった。
しかし昼頃になって走行距離が80kmを過ぎた辺りからいよいよ景色どころではないほど疲弊してしまった。
そんな時、またトンネルかぁ~と思ってトンネルに入ろうと思った矢先…「兄ちゃん!トンネル内停電中だから通れないよ!」と、作業服を着たおじちゃんに呼び止められた。
「え?じゃあどうしたらいいんですか?」と聞くと
「そのために俺がいるのよ。んじゃ軽トラの後ろに自転車積んで!」
「・・・。」
なんだか状況がつかめず、言われるがままにクソ重い自転車を積んで助手席に乗らせてもらった。おじちゃんの言うとおりトンネル内は工事中で真っ暗。おそらくこのおじちゃんに送ってもらわずにそのまま通っていたらかなりの確率で車にはねられて死んでいただろう。車に乗っていたのはたかが5分くらいだがなんだか話が盛り上がって非常に楽しかった。もっと先まで送ってくださいという言葉をギリギリで飲み込んでおじちゃんと別れを告げた。しかしまだまだ坂道は続いて本当にもう参ってしまった。
ちょうど走行距離100km、あと留萌まで50kmというところで雄冬キャンプ場に着いた。ネットで知ってはいたが、本当に水道とトイレ以外何もないところだ。
(何もなかった雄冬キャンプ場)
もう足も限界を超えていたので本気でここにテントを張ろうかと迷ったが次の日は大雨という予報が出ていたので、少しでも町の近くのキャンプ場に行きたいと思ったので、ここでは1時間ほど休憩して水道で足をアイシングして出発した。
ここから50kmはほとんど休憩がなかったように思える。なぜなら足が攣って自転車から降りれないし、降りたらおそらくもう二度と自転車に乗れないという状態だった。もう太もも・ふくらはぎが常に攣ったままで山道を走り続けた。ほとんど泣きながら走っていたと行っても過言ではない。
やっとの思いで留萌市内に着いたのだが、ここからキャンプ場にたどり着くまで一時間ほど迷いに迷ってしまった。もう体が極限状態だったのに、道行く人にキャンプ場の位置を尋ねて、だいぶ走ってから逆を教えられたと気づいた時にはもう、尋常じゃない怒りが込み上げてきた。
やっとの思いでキャンプ場にいて、テントを張ってから近くの銭湯に行ったのだがこの時の幸福感と言ったらほんとに何にも例えようがないほどだった。この至福の瞬間があるから自転車旅はやめられないのだ!
キャンプ場に戻ってしばらくすると日が落ちてきたのだが、もう辺りには街灯もほとんどなくホントに闇で、しかもキャンプ場に滞在している人は自分一人だったので、初めて本当の孤独とはこのことかと思い知った。疲れていたのですぐに寝袋に入ったのだが、やはり熟睡はできない。夜中は何度も目が覚めたし、深夜には大雨が降り出して雨粒がテントをたたく音が非常にうるさかった。
(やっとキャンプ場に着いた)
(誰もいない)
○六日目(9月2日・金曜日) 大雨○
朝8時ごろに目覚めると…やってしまった。喉が痛いし鼻水が出る。完全に風邪を引いてしまったようだ。風邪薬は一日分しか持ってきていなかったのでこの一日で飲み干してしまう。さらには外は大雨。この日は一日中留萌地方は大雨警報が出ていた。しかも足も筋肉痛だったので即、この日の移動は諦めた。となると一日中テントに引きこもる訳だが、しゃべる人もいなければ充電を保つため携帯も使えず、暇つぶしする道具もない。またもや無の境地に突入するしかなかった。雨粒がテントを叩く音が響く中ひたすらテントの中で横になりながらボーっとした。辛い辛い。しかも風邪で体はしんどい。この日で心が非常に折れてしまった。夜になって、もうあまりにしんどくなっておそらくテントで夜を越したら死ぬと思ったのですぐさま近くの旅館に電話をした。なんとそこにはライダーパックなるものがあって大広間で寝袋で雑魚寝だがお風呂も入れて2000円という格安だった。もちろん他の客がいるわけもなく、大広間でさびしく一人寝袋で寝た。だがこの時ほど、屋根があって静かな場所で寝れることがこれほどまで幸せなものだと思ったことはなかった。
この日からデジカメのレンズが完全に開かなくなってしまった。
○七日目(9月3日・土曜日) 雨○
朝8時くらいに起床。外は相変わらずの雨。さらに風邪も一向によくなる気配もなかった。むしろ熱っぽく悪化傾向にある気がした。ただ、留萌にはもう2日もいるので無理に出発したのだが、これがこの旅一番の判断ミスだった。無理しないでもう一日滞在すべきだった。ただ、当初の計画は天塩まで100km走るつもりであったが、とてもこの風邪引きの体で100kmも走れないと判断したので半分の50km先にある羽幌まで行くことにして、野宿もきついのでユースホステルに泊まることにした。9時頃に旅館を出発して、雨の中レインウエアを着ながら走っていたのだが、30分くらい走るとまたもや、作業服を着たおじちゃんに呼び止められた。
「ここから先は大雨のため通行止めなんですよ。」
「いつ解除されるんですか?」
「分かりません。」
「・・・。迂回路を教えてください。」
そういって教えてもらった迂回路を聞いて絶望した。わずか5km程度の通行止め区間を迂回するために約50kmの山道を行けと言われたのだ。とてもではないがこの天候とこの体調では無理なので引き返して、近くのバス停の小屋に入ってしばらく絶望に浸った。気を取り直して、バスを使うなどのこれから進む術を考えたがどれも不可能で本当に絶望にくれた。2時間ほどどうしようかと考えて、ふと北海道の交通止め区間の情報のページを見るとなんと30分ほど前に解除されているではないか!
天にも昇る思いで、再出発。しかし、ここからも大変だった。ずっと海沿いの平坦な道が続くのだが、左手に茶色に濁った荒れ狂う海を見ながら横殴りの雨にただひたすら耐えつつ走った。晴れていたらどれだけ気持ちい道なのだろうかと想像しながら・・・。
途中の道の駅でおいしいお昼ご飯を食べることを心の支えにして走っていたのだが、いざ道の駅に着いてみると、
「臨時休業」の張り紙。
この四文字に打ちのめされるのはこの旅でもう2回目である。仕方なしに、昼ごはん代わりにビスケットを少し食べてまた走り出した。
夕方頃に無事にユースホステルに着いた。夕食はそこのユースホステルに泊まっている人たちみんなで食べるのだが、これがまたアットホームな雰囲気で面白かった。
この日は久々に布団で眠れた。幸せすぎた。
○八日目(9月4日・日曜日) 雨のち晴れ○
朝起きたら以前として喉・鼻のコンディションは最悪。さらに確実に熱があった。ここでも無理せずもう一泊すればよかったのだが、無理に進んでしまった。
朝からずっと雨が降っていたが、昼からは晴れの予報が出ていたのでチェックアウトギリギリの10時まで粘ったが結局雨はやまず、また土砂降りの中出発する羽目になった。
今日の目的地は60km先の天塩のビジネスホテル。この体調ではとてもではないが野宿はできないと判断した結果だ。ただ、この60kmの道のりのうち半分の30kmはひたすら登っては降りて登っては降りての繰り返し。体調が悪いし、疲れもたまっているし、しかもこの雨だ。坂道は川のようになってるし、もう何も考えずに進むだけ。トラックが横切るたびに浴びせられる水が生温かった。
1時ごろから何とか雨がやんで晴れ間もさしてきた。あんなに辛かったのに晴れると上り坂もこんなに気持ちいいのかと、テンションがあがった。
(雨がやんだ記念に一枚)
ただここからは、向かい風との戦いだった。漕げども漕げどもスピードがでず、ただ体力が消耗されていくばかり。
やっとの思いで天塩について近くの銭湯に行ったのだが、ものすごくこの温泉が気持ちよかったし、休憩所には漫画が大量にあって余裕でこの施設で一日過ごせる感じだった。明日は動かずにここの銭湯で一日中いようかと真剣に考えたほどだ。
○九日目(9月5日・月曜日)○
この日も朝になっても体調は優れない。この日はいよいよ70km先の稚内まで進む日だ。この天塩から稚内までの道は北海道の中でも1、2を争うほどの気持ちいい道で、ここの区間は何が何でも晴れの日に走りたいと思っていた。幸運にもこの日の予報は午前中は晴れで午後から雨だった。なので、朝7時ごろにホテルを出た。
出発してまもなく小さなマウンテンバイクに乗ったランドセルを背負った小学生たちを見かけた。ここでは小学生までも自転車通学なのか。さすが北海道。
ここからの道はもう言葉には表せないほどの気持ち良さだった。40kmほど見渡す限りの牧草地でまっすぐに道が伸びるだけ。ただひたすらまっすぐだ。これこそ俺が思い描いていた北海道だ!!!今までの雨も、こんな最高の道を晴れの天気で走れるなら許してしまおうという気持ちになった。
なにより嬉しいのは、バイクのライダーが通り過ぎるたびに手を挙げてくれたり、「頑張ってください」と声をかけてくれるのだ。これはホントに嬉しかった!
(北緯45度のモニュメント)
もうテンション上がりまくりで、颯爽と自転車を漕いでいたら昼前に稚内についていしまった。ビジネスホテルを予約していたが、チェックインは15時なので近くの食事処や温泉やお土産屋が集まっている複合施設のようなところで時間をつぶすことにした。
ここで北海道に来てはじめて海鮮丼を食べた。うますぎる。
(初の北海道での海鮮丼)
とりあえず15時になったので、チェックインしてからここの温泉にはいろうと思った。そして、ホテルでしばらく休憩していると…耳が痛い!!!
急に左耳が痛くなってきた。それも尋常じゃない。もう温泉どころじゃなくなった。すぐに中耳炎だなと思った。この中耳炎で俺の心は完全にノックアウト。稚内には稚内駅があって電車があるがここから先はもう電車もないので帰ろうと思っても帰れない。この痛みもいつ引くか分からないので今回の旅はここまでにしてもう帰ろうと決心した。
しかし、この日の北海道はすさまじかった。台風の影響で明日の朝にかけて大雨がくるという予報だった。
「札幌では150年に一度の大雨になる恐れがります。」
どのチャンネルもひたすら気象情報しかやっていなかった。こんな調子で明日電車が動くのか、この耳はいつ治るのか、もうただただ家に帰りたいという気持ちでいっぱいだった。耳が痛いせいで頭もいたく、晩飯も食べずに風呂も入らずに、ホテルのベッドの上で横になりながらただただ痛みに耐えるだけだった。
○十日目(9月5日・火曜日) 雨○
痛みでなかなか寝れなかったが、いつの間にか眠ってしまったようだ。朝には痛みはかなりおさまってはいたが、水がたまっているせいか左耳がほとんど聞こえなかった。そんななかで、とりあえず稚内から小樽までどうやって電車で帰るか調べ、帰りのフェリーを予約して近くの耳鼻科に行こうと思って調べて行ってみたが…。ない。移転していた。俺の不運はもう誇れるレベルにまで達したようだ。
仕方ないから耳はそのまま放置して、無駄な荷物を宅急便で全て大阪に送り返して、稚内駅から札幌までの特急電車に乗り込んだ。幸いにも電車は運休にならずにすんだ。
ちなみに自転車は、前輪をや後輪をはずしてコンパクトにして、輪行袋というものにいれたら手回り品の別料金も取られずに電車に持ち込むことができるのである。
(特急サロベツ)
(日本最北端の駅稚内駅)
13時過ぎに電車に乗り込んでここから、札幌経由で小樽まで帰るのは6時間の電車の旅だ。前述した通り、もはや6時間なんて屁でもない。無事に小樽に19時過ぎに着いて、小樽のフェリーターミナルも20時前に到着した。
本来は23時30分に出港の予定だが、台風12号が変わった熱帯低気圧の影響で海上がかなり時化ていたため出港が非常に遅れて結局夜中の1時半ごろに出港になった。ここでもまたフェリーターミナルで5,6時間待機なのだが、もう同じことは言うまでもない。
○11日目(9月7日・水曜日)○
行きは2等の部屋だったが、帰りはあまりに疲れていたので2000円くらい高いが2等寝台にした。狭いが一応ベッドで眠れるのだ。ただ、この帰りが非常に辛かった。出港前に船内放送で執拗に海上が荒れているので売店で酔い止め薬を販売していると案内するので少し不安だったが、出港してその意味を理解した。
もう夜中は常にジェットコースターに乗っているかのようだった。相当海上が荒れていて、とてもではないが熟睡はできなかった。
朝になっても揺れは収まらず、とりあえずデッキに出て見ようと思ってもそこに行くまでも壁伝いに行かなければならないほどだった。
また、行きと同じベンチでほとんどの時間をつぶしたのだが、帰りは時化のため23時間かかった。舞鶴港に到着したのは夜中の0時半頃。もちろん家に帰る公共の交通手段もなければ泊まる場所もない。ましてや自転車で帰る気力もない。そんな俺を父が舞鶴まで迎えに来てくれた。家から舞鶴までは車で2~3時間かかるし次の日も仕事があるのに来てくれた。親の愛を感じた。
○12日目(9月8日・木曜日)○
夜中の3時半ごろに家に帰ってきた。家に着いてすぐに3日ぶりのお風呂に入った。自分の部屋のベッドに飛び込むやいなや、瞬く間に夢の世界へ落ちていって今回の旅は終了した。
総括
何よりも今回の旅を通して、自分の家がほんとに居心地がいい場所で安心して眠れる最高の場所だということを知った。今まで家が嫌だと思っていた自分を恥じた。
まぁ何より今回はよく言えば初めてのことがいっぱいだったし、悪く言えば準備不足だった。ただ、天候に関して言えば最も最悪な天候を体験できたのでもし次にどこかに行く機会があっても、多少のことではへこたれない免疫ができたと前向きに考えるしかないww
一人旅もなかなか気軽で良かったが、「旅は道連れ、世は情け」という先人のことわざはホントに真理を突いているなと実感した。
来年また北海道に行きたいかと言われると、正直行きたいとは即答できない…。でもまた来年の夏になると性懲りもなく行きたくなるんだろうなぁ~。とりあえず必ずいつかはこの続きを走ってみせる!!!
とりあえず生きて帰ってこれてよかった。
春休みは自転車で東京に行くくらいで我慢するか←