皆様お疲れ様です。
何とか生きながらえております。


この数ヶ月、仕事やめよと何度思ったやら・・・


人生とは上手く行かない様に出来てるんですね。
上手く行く人生なんて、また面白くないのかも?







上手く行っていた。と思ったら、一度の失敗。ものの数十秒で
奈落の底、存亡の危機に立たされる事もある。



わが身の事では無い様な出来事。。。





「東海テレビ」というローカルテレビ局が
こんなに、全国的に、有名になろうとはねぇ。








何十年と培ってきたものが
一瞬で吹っ飛ぶ、崩れる。溶解する



失うときは、本当に一瞬です。


私も何度も経験しました。だからこそ、怖いのです





○東海テレビは今週これ以降、大手から・地場からスポンサーが一斉に離れ
番組宣伝とACしか流れない。という凄まじい状態にあると見聞しました。

ぽぽぽぽーん♪寸前です




これをやらかした情報番組も休止、今日からアニメ「トムとジェリー」の再放送に差替。
というのは、まぁそれだけでは収まりそうにありませんけど。



米を玩具にする心は、普通の日本人には無い。

「絆」だの。「ひとつになる日本」だのいっていたのは全部嘘







そもそも「不適切な」とは何なんだろう?



”東海テレビ。夏。アニメ”といえば
毎年流されていたのが「妖怪人間べム」





これだって、放送当時はOKだったものが
「時代の流れとともに台詞が不適切と判断される」ようになり


台詞がカットされたりピー音で潰されたり。
いまや夏休みに再放送すらされなくなったり・・・と


今の子供たちが見たら、このOPだけで泣き叫ぶんじゃないかな。怖すぎて。






”不適切”というワードの指し示すものは、どんどん変化しているものなの?


という根本の疑問を抱かされたり。



東海テレビの裏で再放送している、そしてまた私の大好きな
「大岡越前」であっても




ストーリーまるごと不適切。という謂れを受け、欠番になってしまった回もあります。
(大岡越前の第一話すら、これに抵触して完全に欠番。という事実もあります)





”テレビは適切なものしか流さない”という前提があるのであれば
それもまた大きな疑問です。



適切が不適切に負けることもある。
不適切が適切な顔をして届けられることもある。




でも今回のものは、救い様の無い明らかな「不適切」が堂々と流された。

これを誰も止める物が無い、気づかない。ストップの判断すら下せない。

”起きてしまったことの反省”では済まない問題にまで至っている事。



この件は一切の弁明は出来ません。そして何らかの形で責任を取るのです。






今年は、さまざまな形で。世界が、日本が、街が。そして私も含め一個人が

現在進行形で大きく変わった一年であります(←断言)




想像だにしない触れ幅で、価値観は変わりましたんですから
ここからもっと変わるかもしれません。




「人間というもの。いい事をしつつ悪いことをし、悪いことをしつついい事をしようとする」
(鬼平犯科帳-中村吉右衛門-の台詞)



人間は適切なことをしようとし、不適切なことをする。
不適切を感じ、適切に修正しようとする。



けど、その基準が溶解してるような気がします。
「夏の日向に置いたアイスクリーム」のようなもので、その速度は増速しているような。





23秒の放送事故でテレビ局が崩壊の危機に瀕するんです。


一人の個人・人間なんてもっと脆いもの。


今年の夏は。暑さの中に、少し涼しさを感じます




正しいと思っていたことが、間違いであったときの身の処し方。

それだけは分別のつく人間でありたいものです。








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同業者でも口をそろえて「 こ れ は ひ ど い 」と断言する、とあるテレビCM

言ってみれば。。。これを適切とする価値観と、毎日戦ってます。





新商品が「暗い運命を吹き飛ばせ」ってどうなんだよ?
でもビールでは負けるんだろうな。うちは