世界は「ガガさん」である


 




マドンナを超えたとか。女性版プリンスであるとか

自宅でメスの柴犬を飼っているとか、名前は「yoko」であるとか
今回の震災でも、翌日にすぐチャリティブレスレッドの作製、公開をしたりとか
日本に対し最大の理解を示してくれていたり。

セレヴになっても小さめなマンション住まいであるとか・・・





こういう人間の薫り。人であることを残している部分を含め
まったく惚れてしまいそうになる。





キリスト教界をたたっ斬る歌詞であるとか。タヴーに斬り込む、色物一発屋であるとか
そういう謂れなき誤解には当ブログは加担しない。



日本で「♪道元!!!どーどー道元!道元!どーどー道元!!修証一如!」とか歌ったら
必ず永平寺のほうからクレームが入って発禁・放送禁止になること必定であろう。




Judasは、オリビア・ニュートン・ジョンの「フィジカル」の
21世紀解釈版の地位にあるべき歌。だとすら感じる。
簡単なダンス。覚えやすいサビ。この一曲でその時代を思い出す様な
アイコンとして、2011年の世界のチャートに残るんだろうと思う。



◎不思議とエロく感じないのも、私の心に届くものである
(フィジカルが、当初から全然エロくないのと同じように)



着衣が薄手であろうと、あるいはともすれば見えちゃってても
それは正直「有難いものではない」


その高みを目指すものとして、あるいは表現方法として
その俗世間の地平を超える。






今、私の周囲に、関わった女性たちには
多くの「妊婦さん」がいる。

今年はそういうめぐり合わせの年であった。






今年を後に振り返るとき、「born this way」も思い出すんだろうな・・・





歌詞はものすごく保守的。ポジティヴ


人は、どこかに不安になると
保守・懐かしいもの・変わらないものを求めるものでもある。


奇怪な外見で覆い、その中身を見せまいとする。
あるいは「こんな格好」で真顔に個々の生を祝福する。




レディー・ガガも、保守の人。奥ゆかしい人。
そして「20世紀生まれの、変わらない価値観」で動く人。




それだからこそ、安心するんだ。



自分を大切にしてないフリをして、最も自分を大切にしている。
私はそんな女性が好きです。