先のセナ・プロストの様に

或いは上杉謙信と武田信玄の様に
或いは宮本武蔵と佐々木小次郎の様に

「好敵手」の存在もまた、人を輝かせるものであります


そんな中でも「死後にひとつだけ物を持って冥土へ旅立った人」の話


☆お子様の自由研究の題材に悩む親御さんたちも、是非どうぞw☆


―――


$止むに止まれぬdiscover08

米海軍のアーレイ・バーク大将(1901-1996)


太平洋戦争中、ラバウルの南方戦線で日本軍相手に勇名を馳せ

30ノットしか出ない駆逐艦隊を率いて「31ノットで航行中!」と無線を飛ばし
"31-knot Burke "と渾名された、洒落の判る、敵ながら天晴な大将でありましてね


(無線で飛ばす洒落は、男のひとつの嗜みです(笑))



そして、アーレイバークと対峙する側の
草鹿任一海軍中将/航空司令(1888-1972)

$止むに止まれぬdiscover08


この2人のエピソードもまた
互いの実力を認め合った美しいものであります



戦後、日本での業務のために来日したアーレイ・バークは
かつての敵将がどんな人物で、どんな生活を送っているのか?という事をふと思い立ち
部下に調べさせました。


その頃の草鹿中将は、かつて率いた部下の安否やその後を気にし
情報を集めていたりもしましたが(現場の面倒見のよい上官として、部下に慕われてました)

困窮する生活の中で、身分を窶し、工事現場の作業員として
カツカツの生活を送っていました。



それならばとアーレイ・バークは箱詰めの食料を草鹿の自宅へ届けますが

草鹿は「かつての敵から施しを受ける程落ちぶれてはいない!」と激怒。



箱を持ってアーレイ・バークの所へ突き返しに行ったと言います



こうなりゃ意地でも!と思ったのか、今度は草鹿を食事に誘ったりする内
2人は互いの実力を認め合った戦友としての付き合いが始まります



アーレイ・バークは日本の海軍力再興、海上自衛隊の発展に大きく寄与した功績により
1960年。外国人として初の「勲一等旭日大綬章」が贈られました。



この勲章が後に、アメリカの自宅で盗難にあった際
日本の草鹿らが中心となって政府に働きかけ、再授賞されたという逸話も残ります




1996年、95歳の大往生を遂げたアーレイ・バーク

本国でもあるアメリカ海軍から授賞された数多くの勲章はそのままに
本人の遺言により、1個だけ勲章を脇に置いて棺に入りました。


「勲一等旭日大綬章」だけを


日本の最高位勲章をあの世に持っていく
勇猛果敢で鳴らしたかつての敵の海軍大将。。。




生前の功績を称え、アメリカ海軍は彼の名前を関した軍艦
「アーレイバーク級駆逐艦」を61隻建造。それは今も続きます





(軍艦ってのは格好イイものです。。。)



"31-knot Burke"の功績を称え、世界中に散る米海軍アーレイバーク級駆逐艦の全艦が
1分間の31ノット航行をして弔う。という粋に満ちた最期を飾りました。



そのうちアーレイバークの”子孫”である4隻は、いま日本の横須賀に常駐
日本・極東防衛の任に当たってくれています



☆有難うございます。海上自衛隊・在日米軍第7艦隊☆
☆テポドン飛んで来たらかまわず落としちゃってね ☆





そして草鹿任一中将のご子息、ロシア文学家となった草鹿外吉さんは


(主の住む町にある)日本福祉大学の創立に携わり、初代副学長に就かれた。という
真にもって不思議な縁で繋がるという話のオチでありますが。


【最新鋭イージス駆逐艦と、日本福祉大学】

世界とは広いようで、狭いモンですw