投稿者本人の心のリハビリ中という事に加え
若干のネタ切れ故にという感もありますが(オトナの事情w)まぁお許しください


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私達がまだ小さかった頃。学校の図書館に行きますと
世界の偉人伝のマンガ本が集まるコーナーがありましたな。


私はあれが好きでした


社会に出て以降、様々な人と出会う内に
「こんな小さな人間に」「こんな考え方が誤った人間に」苦しめられる事もあれば


人生の範としたい人、その器に感服せざるを得ない人の存在を知ってくものでもあります
世界で、日本で。陽の当たる場で。当たらない場でも



昨今の学校教育では、ヒーローや偉人を取り上げなくなったと聞きますし
(ゆとり教育の弊害だの日教組教育だの...と言う話はまた機会を改めますがw)



同じ時代を生きてる中でも、そういう人は我々が知らないだけで沢山いますし
リアルタイムで生きてる中で見ていた存在が、スターになる瞬間と言うのもあります


そしてその生き方に感服せざるを得ない。凄いという他無い
自分の心の洗濯でもあり、自分の目標の再起動にもなるものです



と、先週のTopgearをネットで観ながら思ったりもしましたので
ちょっと真似てみようかと



(携帯で御覧の皆様、amebaはニコニコ動画携帯ブラウズ非対応な事をご了承下さい)



$止むに止まれぬdiscover08

「音速の貴公子」アイルトン・セナでございますよ








番組のホスト、ジェレミー・クラークソンも言うとおり
「私は当時アイルトン・セナが好きではなかった」ものです


私は”レッドファイヴ・納豆走法・苦労人”ナイジェル・マンセルが好きでしたがね


天賦の才能を自己研鑽でより高い所に導き、そして天に返る

理解者であるロン・デニスやホンダチームの存在。
確執と激闘を演じ、死後は「私の半分が死んだ」とまで言わしめるライバルの存在


強烈な個性の集まる場で一際輝くと言う事は
より「何かを持っていた」事の証でもあるものです

よい環境を選ぶことも、人間が高みを目指すための必要な条件なのかな?とも


生誕50年だそうで。
今年は色々とメモリアル・イヤーになりそうですが。。。




1994年5月1日の事故の瞬間、そして訃報を伝えるこのシーンは
一緒に泣いたものです







男が死んだ時には、金も地位も肩書きも時計も車も持っていけないもの

あの世に持っていけるのは、訃報に接して泣いてくれる人たちの涙。だけです



・・・と思ってましたが

次回は「あの世にひとつだけモノを持っていった偉人」の話でも