おはようございます。
昨日10月11日は「国際カミングアウトデー」だったそうです。
性的指向や性自認をカミングアウトしたセクシュアル・マイノリティ(LGBTQ)の人々をお祝いする日だそうで、由来は何なんだろうと調べてみたら、
1987年10月11日に、ワシントンD.C.で「レズビアンとゲイの権利のためのワシントンマーチ」というのが行われ、それを記念して「世の中が同性愛者の人々に向ける差別や偏見をなくし、クィアのアイデンティティを祝福するため」制定された日なんだそうです。
「カミングアウト」という言葉は、元々は、裕福な家庭で育った若い女性たちが「社交デビュー」をする際に使われていて、60年代頃から公に隠していたことを打ち明けることを「Coming Out of the Closet(直訳:クローゼットから出てくる)」と表現するようになったことから、
「隠していたことを打ち明ける」ための言葉として使われるようになっていたようですね。
今や私にとっても「カミングアウト」というのは実に身近な言葉となりました。
というのも、今から20年ほど前の私、30歳になる前の私は、自分が同性愛者だという自覚がありながら、それを自分で受け容れられず、悶々と1人悩んでおりました。
その後、思い切ってネットの世界で同じような人と出会う機会を作ろうと決意したことが、自分の中でのカミングアウトだったと言えます。
自分を「普通ではない」と認めることは本当に勇気が要りました。
でもその壁を乗り越えられた時・・・とにかく、「自分だけではない」とわかったことは私に大きな勇気を与えてくれました。
しかしその後は今度は劣等感に悩まされ続けます。
自分は「普通の人」よりも劣った存在である、という劣等感。
なので、周りにカミングアウトしたくても、私がそんな人間だと知ったら、こんなに仲良くしてきた友達でもきっと、縁を切りたいと思うに違いない、という思いにさいなまれ、怖くてなかなかできなかった。
初めて勇気を振り絞ってある友達にカミングアウトした時は、本気で、これで縁を切られるだろう、と思っていました。
しかしもちろん縁など切られることもなく、私のことをわかろうと、ネットで自分なりにいろいろ調べたりしてくれた友達。
当時の私のコイバナもきいてくれ、頑張れ!と背中を押してくれた友達の存在は、本当に私にとって大きな勇気となりました。
それから約20年。
ありのままの自分を受け入れたい、と、自分と向き合い続けて少しずつ、自分が同性愛者であるということにどんどん抵抗がなくなり、劣等感もなくなっていき、今このありのままの自分を愛おしいとすら思えるようになった今、
カミングアウトは、私にとって苦しいものではなくなっていきました。
今は周りに私とパートナーの関係を普通に知ってくれている人たちがたくさんいます。
もちろん、親と仕事関係の人には言えてはいないです。
でも、それでも今の私にはこの環境は十分すぎるくらい、心地よいものです。
カミングアウト、まずは自分の中で自分に対してカミングアウトできないことが何よりつらいと思うのです。
つまり、自分で自分のことが受け入れられないという状態です。
まずはその状態を脱することができることが、本当の意味でのカミングアウトへの第一歩になって行くんだなと経験を通して今は思います。
だから、自分のことで悩んでいる人が一人でも多く、自分に対してまずカミングアウトできるようになって行ければと心から願います。
本日もお読みいただきありがとうございました。