■無理な共生は腐敗と堕落を生む

また喜多さんのピックアップから

移民より教育だろ@FT

http://blog.goo.ne.jp/kitaryunosuke/e/8a20cceb04bcf5c9ee00597657d38858

(今日の覚書さん)

この記者は外国人の日本移住を阻止しているつもりなのか?^^


どちらにしろ、小さな移民問題は共生と言う夢物語の現実を考える上で

いくつもの警鐘を鳴らしてくれているわけです。


リベラルな仲良しこよしの発想で考えていると

行きつく先は両者の悲劇です。そこに、政治的目的を孕んだ

人権屋なんぞが絡んできたら目もあてられません。


見た目が似ているとか、考え方が似ているとか

そんなことはどうでもいい話で

異文化が格差とともに共存するというのは

あらゆる腐敗・堕落を生みだすことになるのです。


国内問題としては

経済効率至上主義によるタコが自分の足を食らうが如き

低賃金移民の受け入れ。


共存と単なる共生はまったく違うものであって

文化・習慣どころか、経済的格差がそこにあった場合に

どんな末路が待っているか・・・

例えは難しいのですが・・

例としてイタリアの問題。

以前紹介した動画。

THE FAKE OF NANKINGですが

本旨ではなくて導入部にこんなシーンが・・



次の対テロ攻撃はどこに対してするべき?」


という質問に対して

(もちろん米国内なんで)


イランとかサウジとか回答があるわけです。

でその中に

イタリア


という意見があるんですね。


イタリア好きの日本人からすれば

「えー?」

なわけですが、米国内であればそういう偏見もあるわけです。


そのイメージって言うのは、複雑なイタリア国内問題があって

やはり1900年代初頭以降のイタリア移民のイメージがある。

無理やりなイタリア統一ではじき出された伊南部の人々。


ゴッドファーザーとかサタデーナイトスペシャルの世界。


何が言いたいのかと言うと


イタリアというのは、本質的に一つの国ではない・・・


ぐらい北部と南部の違いがあるわけですが

イタリア敗戦後も地勢的に分割されずに

(というより、昔から)

複数の国家的(文化・慣習)差異が半島に封じ込まれている・・・

ぐらい差があるわけです。

例えるなら、朝鮮半島の北部が日本で、南部が韓国・・・


これが無理やり一つの国家になっているわけですが

アメリカへの移民はイタリアでも南部が中心。

そのイメージがイタリア人全般のイメージとして固定されています。

哀れ・・


一つの国に二つの文化・・・

その悲劇は↓とかがわかりやすいです。



イタリア・地獄

地獄・それでも私はイタリアを愛する

Giorgio Bocca

(三田出版会)


マフィア、コーサ・ノストラ、

カモッラそして中央政府が共犯して

腐敗体質を浸みこませていくという実態(イタリアの腐敗)を

レポした本ですが

背景には、北部と南部の決定的な民族的・文化的差異・格差。


一つの国家にさながら二つの国家が存在するように

それは決して共存とは言えない・・・と感じさせる。


何故か書評とかがあんまり見当たらない・・

反論的な書評は

南イタリアは地獄か

http://www.geocities.jp/tomo_toscana/study/italia/No1/ep1f.html

ボッカの意図とは違うんですけど・・・


----------


イタリアに少し長めに滞在したことのある人は

イタリア名物「物乞いスリ」を経験したことがあるのではないでしょうか?


道を歩いていると、乞食の格好をした児童が物乞いに近寄ってきます。

で何やら叫んでいる。


それが一人二人から、やがて数十人の集団で囲んできます。

でどさくさにまぎれてポケットに手を突っ込もうとする。


追っ払ってくれたコーディネーターに

「今のはなんだ」

と聞くと

南部から来た組織スリだ」という。


で周りのイタリア人は

別に珍しいことではないようで反応しない。


順応することは共存ではないんですが

南部の普通の人々が、犯罪組織を作って

北部に出稼ぎに来ては、戦利品を南部に持ち帰る・・

それを微妙に受け入れているわけです。


そして南部由来のマフィアが政権内を侵食する現象も

日常化してしまう。

それでいて、南部と北部の決定的差異は

十二分に感じています。


で伊・極右台頭などと言われますが

国内の異文化共生の理不尽を

のんびり屋のイタリア人に気付かせたわけです。


そんなのは極右でもなんでもなくて

現実主義的な国内政策の問題で

共生否定を右翼とする思いこみ・決めつけ。


極右さんのエントリーがわかりやすい。


伊・極右が扇動の誤り!

http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/50569798.html

(極右評論さん)


で、我が国では

国際リベラル連帯の浸食、

リベラル思想喧伝によって

共存・共生という言葉が

まことに俗事に良いフレーズと聞こえるようで

どんな悲劇が待っているのかを想像だにできないようであります。


民主党「憲法提言中間報告」のポイント

http://www.dpj.or.jp/seisaku/sogo/BOX_SG0057.html



(1)グローバリゼーションと情報化に伴う新しい変化や価値に応えるために。

 ◆国家主権の移譲や主権の共有へ
 ◆アジアとの共生


どこに主権を移譲させるつもりなのか知りませんが

恨日・侮日の教育・喧伝に染まった民族との共生など

イタリアどころの話ではすみません。


和をもって貴しと為す?


経済的格差や政治的思惑を孕んだ背景があるのは

共生とは言わない。


待っているのは腐敗と堕落。


そこに人権屋が絡むと単なる悲劇。


同居しながら、敵意むき出し・・っていうのは

わが国では日常的な光景です。