■朝日がとうとうやってしまった



卜部メモ

逝く昭和と天皇、克明に 卜部侍従32年間の日記刊行へ

http://book.asahi.com/clip/TKY200704250363.html

(朝日)



晩年の昭和天皇と香淳皇后に仕え、代替わりの実務を仕切った故・卜部亮吾(うらべ・りょうご)侍従が32年間欠かさずつけていた日記を、朝日新聞社は本人から生前、託された

靖国神社参拝取りやめの理由についても記述されている。

 最後となった天皇の記者会見から数日後の88年4月28日。「お召しがあったので吹上へ 長官拝謁(はいえつ)のあと出たら靖国の戦犯合祀と中国の批判・奥野発言のこと」。「靖国」以降の文章には赤線が引かれている。


 昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀に不快感を吐露したとみられる富田朝彦宮内庁長官(当時)のメモも同じ日付。天皇は富田長官と前後して卜部侍従にも戦犯合祀問題を語っていたことになる。そして、卜部侍従は亡くなる直前、「靖国神社の御参拝をお取りやめになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」(01年7月31日)と記している


まず最初に断わっておきますが

私の考えは小堀圭一郎先生のお言葉を借りますが


綸言として取り扱うにはその条件が整っていない


ということ。


その上で・・・


生前に託されたわけですか。


しかも日付からして御病床において朝日新聞は預かったと。


で昨年の日経新聞・富田メモの騒動の時に出さなかったわけです。


で都合よく12年前の先帝陛下の御意を思い出したように綴られたわけですか。


で都合よく、御親拝取りやめに関する松平宮司(当時)批判ですか。

当時のメモに記さずに。


で六年間も温存していたわけですか。

公表して調査するわけでもなくだらだらと隠し玉よろしく温存ですか。


まさかとは思いますが


メモ帳の空いているスペースが2001年7月31日しか無かった・・・

とかいう話だったら


朝日新聞は存続不可能になりますが覚悟はおあり?


日経・朝日に言っておきますが


先帝陛下がどのようなお気持ちであったとしても

崩御まで公にされなかった・・・

これが御意であると考えたことは無いの?


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というわけで

中共の必死さがわかるのですが

もし国立追悼施設なんぞに決着つくと

カードが一枚なくなるのに・・・・

と思っていますが

逆に言うと靖国カードというのは我が国にあるのかもしれません。


自ら蒔いた種とはいえ、

反日暴動のコントロールができない恐怖があるのかもしれません。


それがいつ反政府運動に発展するのか・・・


というわけで

シナの工作機関紙となり果てた朝日の動向は今後も要注意です。