「交渉継続」は2島が対象 56年書簡で元ソ連外交官
http://www.sakigake.jp/p/news/world.jsp?nid=2006101401000391
(さきがけ・by共同)
1956年の日ソ共同宣言調印に至る外交交渉に加わった元ソ連外交官
セルゲイ・チフビンスキー氏(88)は19日の調印50周年を前に共同通信
のインタビューに応じ、56年9月の「松本・グロムイコ書簡」に記された
国交正常化後の「領土問題を含む平和条約締結交渉の継続」とは、
色丹、歯舞の2島の日本への引き渡しに伴う国境画定交渉であり、
択捉、国後島は対象ではなかったと述べた。
同氏の発言は、書簡が北方4島の帰属交渉の継続を約束したものだと
して4島返還を平和条約締結の条件としている日本政府の見解とは異なり、
領土問題をめぐる議論に一石を投じそうだ。
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書簡は、国交回復後の領土交渉継続を望んだ日本側の求めに応じて
鳩山訪ソの直前に取り交わされた。書簡に書かれた「領土問題」に
択捉、国後の帰属問題が含まれるとの日本側の解釈について
チフビンスキー氏は、ソ連側には当時「そういう理解はなかった。
(日本側交渉者の)誰もそんなことは言わなかった」と述べた。
チフビンスキーさんは当時のソ外交部担当官。
そういう理解はなかったっていうのは嘘。
グロムイコ書簡の前に鳩山・ブルガーニン書簡がありその上で共同宣言
草案の協議が日ソ外務担当官でありましたが主に択捉、国後の取り扱い文言。
米ダレスが日本の譲歩を認めないよう要請した背景がそのまま
日ソ外務協議の主要項目といってもよかった。(沖縄返還問題等との絡み)
それと共同がこの時期にこんなことを記事にするのも疑問です。
このチフビンスキーさんのインタビューですが半年ほど前に
「二島返還譲歩はフルシチョフ独断」という発言を露紙インタビューで答えています。
これはプーチンの手配と言われているインタビューですがそれについて
後追いした共同は同内容(二島について松本グルムイコ書簡)の説明を受けています。
それをこの時期に持ってくるのはなぜでしょう。
ロシアのシンクタンクは二島返還で日露双方の妥協を提案し
plus2として共同開発以外の日本側メリットの具体案を提案しています。
これはおもしろいことにロシアシンクタンクではありますが
日米外交関係者がシンクタンクのメンバーに参加し、日本でも
各種の提案活動をしています。
(The Carnegie Moscow Center)
Carnegieという語に反応しなくてもいいですが^^
ダレス時代と現在ではアメリカの意向は違います。
アメリカは二島返還を軸としての領土問題解決が望みなのでしょう。
日本側の経緯としては
こんな感じなのですが
最近日ソ共同宣言の交渉記録が開示され、一級史料扱い。
これによって「鳩山密談」が払拭されたという意見が聞かれますが
密約が交渉記録になるという意見はどうなんでしょう。
鳩山・河野外交としては米露双方に顔を立てるというか
国内的にもごまかせると見てソ外交部と密かに協議していたのは
間違いないと思います。
こういった外交手法は吉田茂がもっとも非難するやり方だった
やり過ごし方の外交であり何の解決にもならなかったのは
今を見れば解ります。
共同宣言の【平和条約・領土】をもって二島返還で了と言う意見が
顕著な例です。曖昧なら自国の解釈ですすめるのが当然なのですが
そうならないのが我が国の不思議。
なぜか共同記事とか拿捕銃殺事件とか重なりますね。
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外交の解釈関連でコメントいただいた件。
http://ameblo.jp/disclo/entry-10017802244.html#c10030259143
私としては佐藤和男さん等の用語解釈の論もありますが
サンフランシスコ条約の吉田外交の経緯も重要だと思います。
日本の意見は聞き入れられる余地はない状況であっても
交渉記録は残るように巧みにプレッシャーをかけていたのでは
ないでしょうか。
東京裁判についての専門家意見が進行中に多数出ています。
(裁判の正当性についての疑問)
trial,proceedingsと裁判・裁判経緯を含めた表記としなかったのは
連合国・・米の思惑では?と思います。
judgmentsとして通告・宣告的な形で残したかったのだと。
「裁判」としてしまうと国際法・・法原則から後年「東京裁判」無効論が出てくる
という危惧は誰がもっとも持ったでしょう?
連合国・米にとっては
東京裁判の正当性とサンフランシスコの正当性が
おなじくくりで論じられるとやばいだろうなと。
講和の時、世界はすでに次の国際問題の渦中にあったわけです。
この「逃げ」を我が国がどう考えるのかは上の問題と同じだと思います。