海外会見

クルックホーン・昭和天皇との会見記事(20.9.30朝日)


昭和天皇が海外記者と会見 宮内庁で文書控え見つかる

http://www.asahi.com/national/update/0725/OSK200607250185.html


まずタイトルからして印象操作でしょう。

文書が偶然見つかったのではない事は本文を見ればわかります。

もと大阪朝日の報道局勤務でドキュメンタリー制作会社の

鈴木さんという人の情報公開請求によるもの。

鈴木さんは今でもテレビ朝日の番組制作をしています。


さておそらく朝日新聞は「富田メモ」問題と絡ませたいのでしょう。

昭和天皇の東条責任発言を会見から見出すことによって

富田メモの信憑性を補完したいのでしょう。


また情報開示請求によってこの文書を入手したのは

ずいぶん以前じゃないでしょうか?


>26日のテレビ朝日系「報道ステーション」で特集が放映される。


さてこの会見の内容ですが

まるでNYタイムス記者(単独では?UPITOP?)と昭和天皇が

直接質疑応答したような印象を与えるような報道ですが

実際の謁見時間は数分。挨拶と多少のやり取りだけです。


では「会見」とは何なのか?

記者からの質問を事前に文書で受け

それについて内閣が回答原案を作成します。

(幣原原案)

この原案の前に陛下にも質問内容が報告され

御心も考慮された内容となります。

それが宮内省内で修正され内閣内で確認されます。

そして数分の謁見後回答文書を記者に渡します。

しかし回答文書を渡して終わりではないのです。

実際の会見はGHQの意向で対米向けに組まれた物であるので

その回答について修正がなされます。

検閲とまでは言いませんが

NYタイムスの記事は

原案・回答文書・修正文書

の三つをまぜこぜに記事化しているのがよくわかります。

勘違いは「記者は回答文書しか見ていない・・・」につきます。


記事中の

>また、同紙の記事にある

>「英国のような立憲君主国がよいと答え」に当たる記述はなかった。

>記者に回答が手渡される前に、さらに修正された可能性もある。

もそうですが

当時の状況から手渡し前も手渡し後も修正が加わる背景がありました。


問題は

>「宣戦の詔書は、東条大将が使ったように使う意図はあったのでしょうか」

>という質問に、「東条大将が使ったように使われることは意図していなかった」

>と回答している。

(朝日4.29では『東条のごとくにこれを使用することはその意図ではなかった』)

ですが

宮内省政府の回答意図は

真珠湾攻撃の後に詔書奉布された事であり、NYタイムス記事のように

「東条に責任転嫁」というような内容ではないはずです。

また詔書を「使う」とはどの時点で宣戦奉読するかということであり

戦争(攻撃)責任とは関係ありません。

記事においても昭和天皇の直接の回答箇所ではありません。

His Majesty had no intenntion to have the war rescript
used as General Tojo used it.
「陛下は宣戦の詔書を東条が使ったように使われることは
意図していらっしゃらなかった」


回答文書のどこを見ても朝日のいう

>通告なしにハワイ・真珠湾を攻撃したのは
>東条英機元首相の判断だったとする説明が事実と確認された


なる箇所はないのです。


また

>通告なしにハワイ・真珠湾を攻撃した

「昭和16.12.7対米覚書伝達遅延事情に関する記録」

外務省官報にあるように我が国公式見解は

外務省の失態で通告が遅れたとなっています。


つまり朝日報道のように

通告なしに攻撃した事実も

昭和天皇・日本側回答が

東条英機元首相の判断だったとする説明をした事実も

どこにもありませんし

再発見された事実もありません。


どこの立場で記事を書いているのでしょうか。




ただしこの幣原原案と今回の書陵部保管文書は大きな差異はないはずです。

なぜなら国立歴史民俗博物館所蔵の原案と記事内容は大きな差がないからです。


では朝日はなぜこの時期にスクープ様にこの記事を出したのか?

その意図は富田メモのA級部分の補完に他ならないと思います。


ところでこのNYタイムス記事の数日後に(9.27)

マッカーサー会談があり、そこでは陛下は率直な御心を述べておられます。

それはマッカーサーに関する記録ではっきりしています。

直接の陛下のお言葉の記録と政策として修正された文書の解釈。

どちらがご真意と考えるべきなのでしょうか。



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さて「富田メモ」ですが

真贋の意味が報道等でも違って解釈されていますが

富田メモが富田氏本人の手による物で「本物」である事は

ほぼ間違いないのです。

問題は「昭和天皇のご発言」と解釈したその経緯に問題があるのです。


最大の問題はなにか?これが特に報道関係では無視されています。


それは日経及び関係者は

宮内庁に相談も照会もしていないことです。

それは官房長官会見の宮内庁談話でもあきらかです。

万一照会相談していたとしても

日経の富田メモ取り扱い方針に

宮内庁は反対の姿勢を示したことになります。


官房長官会見で回答表明した以上

宮内庁は今後関知しないし出来ないでしょう。


これは日経曰くの「一級史料」の史料価値を

著しく毀損したことになります。


もっとも重要な4.28の富田氏の拝謁記録の確認、

及び、4.28の宮内庁関連の管理記録という

もっとも重要な史料裏付けが出来ないという事になります。


一部情報では4.28拝謁記録はないと言われており

天皇誕生日会見の説明を伴う富田長官会見しか記録にはないようです。

それから徳川侍従長ですが会見の記録はありません。

私は4.12の勇退後その日に奥野発言があり

それに関連して徳川氏が取材を受けていることに注目しています。

4.28の長官会見に際して天皇会見の報告と徳川氏しゅざいの内容

を富田氏は受けていると考えるのが普通です。

(なぜなら関連して質問を受ける可能性があるからです)


そこには陛下のお気持ちの説明がある可能性もありますし

報告される際の官房・侍従方の主観や意見が入る可能性もあります。

徳川氏は嘱託でおられたんですから会っていないとも断言できないし

宮内庁に照会・相談せずに昭和天皇の不快感と断定したことが

不思議でならないのです。


それよりもそのことが各社報道の中で問題にならないのが

不思議です。


一部でいわれているようにメモの他の部分でもっと確実なことが

書かれているのであればそれはそれで論点がはっきりするので

いいと思います。

もう一つ、何度か書きましたが

メモは手帳に貼り付けられていなかった・・・

これは有力な情報です。


日経は「一級史料」を潰すつもりなのでしょうか?


http://www.policejapan.com/contents/katsuya/20060725/index.html

(ポリスジャパン)

皇室をめぐる報道関係者や歴史家、評論家などは、

それぞれライバルでありながら、ひとつのファミリーのようなところ

があります。極めて閉鎖的な社会です。その中で、突出した偽造

や暴走はまず考えがたい。これは、文藝春秋という、そうした集団

の周辺にいたことのある私の率直な感想として、正直にここに申し

述べておきましょう。


おっしゃるとおりですが

検証という意味において

専門家のみなさんは何をしているのかと・・・・。

問題になっているのは日経報道における昭和天皇のお言葉

といわれる一文であり、他の富田日記との整合性の前に

宮内庁への確認でしょう。

あくまで日経は

富田氏の昭和天皇のお言葉の書き取り

としているのですから。メモから推測される

富田氏と昭和天皇との会話が会ったのかどうかが問題であり

一般人ではなく先帝陛下であるのですから

記録があるやもしれない。万一ないということであれば

それを前提に議論を展開すればいい。


検証の第一歩を専門家の皆さんが避けたのはなぜか?

気になるところです。



一部修正


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ちなみに「ダグラス・マッカーサー戦後日本を作った男の 2.000日」では


近衛は、以前から考えていた天皇への米国人記者の取材を設定する。

どうしても米国の世論を押さえる必要があったからである。 
近衛は米国人記者に伝えるべき、天皇の言葉を綿密に作り上げて行った。

9 月25日、戦後始めて米国人記者が、天皇に拝謁する。

しかし、その時間は僅か五分間であり、取材といえるものではなかった。

米国人記者にはあらかじめ近衛が用意した文書が、手渡されただけであった。

所がこれは歴史的スクープとなって海を越えたのである。

米国中で話題となったのは『天皇は奇襲攻撃をした東条を責め、

自分は戦争には反対であったと述べた』と言う記事の作りである。

少なくても奇襲攻撃の意図は、天皇に無かったと言う事を説明して

真珠湾の責任を天皇から外して、東条に持っていこうとした近衛の

作戦である。これは素直に米国民に伝わり、世論工作としては成功したが、

逆に軍部の責任は極めて重くなったのである。

天皇との会見二日前、マッカーサーはこの報告を受けている。