同じ事柄も異なる角度から眺めてみると受ける印象が変わってくるものです。

イエスがある親子が登場するたとえ話をしています。

このときのイエスの立場は?


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イエスは、たとえで彼らに話し始められた。
「ある人がぶどう園を作り、垣を巡らし、搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、
 これを農夫たちに貸して旅に出た。

 収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を受け取るために、僕を農夫たちのところへ送った。
 だが、農夫たちは、この僕を捕まえて袋だたきにし、何も持たせないで帰した。
 そこでまた、他の僕を送ったが、農夫たちはその頭を殴り、侮辱した。
 更に、もう一人を送ったが、今度は殺した。
 そのほかに多くの僕を送ったが、ある者は殴られ、ある者は殺された。

 まだ一人、愛する息子がいた。
 『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に息子を送った。
 農夫たちは話し合った。
 『これは跡取りだ。さあ、殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』
 そして、息子を捕まえて殺し、ぶどう園の外にほうり出してしまった。

 さて、このぶどう園の主人は、どうするだろうか。
 戻って来て農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。

 聖書にこう書いてあるのを読んだことがないのか。
 『家を建てる者の捨てた石、
  これが隅の親石となった。
  これは、主がなさったことで、
  わたしたちの目には不思議に見える。』」

   マルコによる福音書12:1-11
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このたとえ話は何をたとえているのでしょう?

登場人物は誰のことなのでしょう?

ぶどう園の主人は?

農夫たちは?

収獲を受け取るために送られた僕は?

息子は?


この数日後、イエスはエルサレムで逮捕され、十字架につけられます。


父親の視点で、息子の視点で、はたまた農夫たちの視点で、このたとえ話を読んでみてください。


どのような感想を皆さんは持たれるのでしょう?