子供に何かをせがまれることがあるでしょう。

その都度、親としてのポリシーが試されます。


数々の奇跡を起こしていたイエスでしたが、人々の求めに、すべてその通り応じていたわけではありませんでした。

イエスは人の心の中にあるものに注目し、本当にその人のためになることを選択しました。


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それからすぐに、弟子たちと共に舟に乗って、ダルマヌタの地方に行かれた。
ファリサイ派の人々が来て、イエスを試そうとして、天からのしるしを求め、議論をしかけた。

イエスは、心の中で深く嘆いて言われた。
「どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう。
 はっきり言っておく。今の時代の者たちには、決してしるしは与えられない。」

そして、彼らをそのままにして、また舟に乗って向こう岸へ行かれた。

  マルコによる福音書8:10-13
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イエスが舟から上がると、ファリサイ派の人々が寄って来ました。
彼らの心の中には何があったのでしょう?

彼らはイエスを試そうとしていました。

心の中は猜疑心や闘争心でいっぱいだったのではないのでしょうか。


ファリサイ派の人々はイエスに天からのしるしを見せるよう求めます。

イエスは外目に見えるほど深く嘆きました。

「どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう」


奇跡を見たから信じるというのは本当の信仰ではありません。

「見ないのに信じる人は、幸いである。」(ヨハネ20:29)


イエスは彼らの好奇心や猜疑心を満たすために奇跡を起こすようなことはしませんでした。

そればかりか、ファリサイ派の人々を岸辺に残し、再び舟に乗り込み、向こう岸へ行ってしまいます。


子供が何かを求めてきた場合、それに応えるのが教育上好ましいかどうかよく判断する必要があるでしょう。

場合によってはただ甘やかすことにもなりかねません。


物事を長い目で見て、本当に子供のためになるような選択を決然と下せるようになりたいですね。