イエスは、私たちにたくさんの教えを残してくれています。

それを聞く者の視点やその時の状態によって、学び取る内容も異なることでしょう。

今日、「お父さん」として、皆さんは以下の教えをどう捉えますか?


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また、イエスは言われた。
「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。
 燭台の上に置くためではないか。

 隠れているもので、あらわにならないものはなく、
 秘められたもので、公にならないものはない。

 聞く耳のある者は聞きなさい。」

また、彼らに言われた。
「何を聞いているかに注意しなさい。

 あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる。

 持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。」

  マルコによる福音書4:21-25
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ともし火は本来、燭台の上で煌々と輝くために存在します。
升の下やベッドの下に置くものではありません。

「そのようにあなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。」(マタイ5:16)

個性や才能を隠さずに、社会に輝かせることを人は皆期待されています。

皆さんの家族の一人一人は今、十分に個性を輝かせていますか?


「隠れているもので、あらわにならないものはなく、
 秘められたもので、公にならないものはない」

良いものはどんどん表に現れてほしいものです。

でも、反対に悪いものも隠れていることはありません。

心にあることはすべて明らかになります。

「だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、
 奥の間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる。」
                              (ルカ12:3)

「更に、神の御前では隠れた被造物は一つもなく、
 すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。」
                              (ヘブライ4:13)

これはグッドニュースですか? それともバッドニュースですか?


「あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる」

普段どのような尺度で奥さんや子供のことを見ているでしょう?

好意と期待を持って接すると、それに見合った情報が飛び込んできますが、
悪意とあきらめを持って接すると、それに見合った情報が入り込んできます。

そしてまた、自分も同じように家族からみなされます。
好意を持って接すると好意が返って来て、あきらめをもって接するとあきらめが返って来ます。

与えれば与えられる。しかも、「更にたくさん与えられる」のです。


「持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる」
これは不変の法則です。


心の内で家族のメンバー一人一人にどのような思いを抱いているのかチェックしてみましょう。

隠しているつもりでも、それは相手の心に伝わっているものです。

一体何が伝わっていて、何が返って来ているのでしょう?


家族の心の成長は、皆さんの心の変革から始まるのかもしれません。