ユダヤ人の最高法院で死刑の判決を受けたイエスは、総督官邸に連れていかれました。
当時ユダヤはローマ帝国の支配下にあり、総督の許可なしに死刑を執行することはできなかったからです。
このときの総督はピラトという男でした。
イエスを尋問した後、ピラトが発した言葉がこれです。
「わたしはあの男に何の罪も見出せない」(ヨハネ18:38)
ピラトのとった行動とは?
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ところで、祭りの度ごとに、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた。
そのころ、バラバ・イエスという評判の囚人がいた。
ピラトは、人々が集まって来たときに言った。
「どちらを釈放してほしいのか。 バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。」
人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだとわかっていたからである。
一方、ピラトが裁判の席に着いているときに、妻から伝言があった。
「あの正しい人に関係しないでください。 その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。」
しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。
そこで、総督が、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、人々は、「バラバを」と言った。
ピラトが、「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいのか」と言うと、
皆は、「十字架につけろ」と言った。
ピラトは、「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言ったが、
群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けた。
ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、
水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。
「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」
民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」
そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。
マタイによる福音書27:15-26
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
総督にはイエスを釈放する権限がありました。
(後年、使徒パウロは同じように祭司、長老らから死刑を求められますが、
時の総督は自らの判断でそれを保留しています。(使徒24、25章))
なのに、なぜか彼は祭りの度に行っていた恩赦を持ち出したのです。ちょうど過越祭の最中でした。
口実を作って民衆をなだめ、うまくイエスを釈放しようとしたのでしょうか。
奇しくもそのとき、同じイエスという名の囚人が収監されていました。
彼はバラバ・イエスといって、人殺しをした暴徒の一人です(マルコ15:7)。
ピラトはバラバを引き合いに出して、イエスとどちらを釈放してほしいか民衆に問いました。
「わたしはあの男に何の罪も見出せない」と判断した総督の行動とは思えません。
ちょうどその時、妻からの伝言がピラトのもとに届きました。裁判は明け方から行われていました。
「あの正しい人に関係しないでください。 その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。」
おそらく何か胸騒ぎを感じて、いてもたってもいられなくなったのでしょう。
ピラトの奥さんは夫が間違った道に進まないよう精一杯の警告を発したのかもしれません。
しかし、ピラトの提案は彼の思惑を超え、裏目に出てしまいます。
祭司長たちと長老たちによる扇動が奏功したのです。
「どちらを釈放してほしいのか」という問いに、群衆は無責任にも「バラバを」と叫び出しました。
そしてイエスに対しては、「十字架につけろ」と激しく叫ぶのでした。
イエスは群衆から暴動を起こした殺人者よりも悪人にされてしまったのです。
ほんの一週間前、「ホザナ」と連呼し、
ろばに乗ってエルサレムに入城したイエスを歓迎したのと同じ群衆でした。
自分の確信を持たず、ブームに流される。これが群衆というものなのでしょうか。
群衆の勢いに恐れをなしたピラトは圧力に屈し、イエスを十字架につけることを黙認してしまいます。
もしピラトに自分の信念を貫く勇気があったなら、この日、イエスが十字架につくことはなかったでしょう。
妻の「あの正しい人に関係しないでください」という警告に反し、
ピラトは、イエスの十字架に大きく関係する者となってしまいました。
彼の名はイエスを十字架に引き渡した総督として歴史に刻まれることになります。
女性の方が感覚が鋭いとよく言われます。
皆さんの奥さんも皆さんを守るために、直感的に警告を発することがあるかもしれません。
そんな経験はありませんか?
妻のサポートとはありがたいものです。
皆さんには奥さんの警告に耳を傾け、自分の行動を再確認する心の余裕がありますか?
当時ユダヤはローマ帝国の支配下にあり、総督の許可なしに死刑を執行することはできなかったからです。
このときの総督はピラトという男でした。
イエスを尋問した後、ピラトが発した言葉がこれです。
「わたしはあの男に何の罪も見出せない」(ヨハネ18:38)
ピラトのとった行動とは?
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ところで、祭りの度ごとに、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた。
そのころ、バラバ・イエスという評判の囚人がいた。
ピラトは、人々が集まって来たときに言った。
「どちらを釈放してほしいのか。 バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。」
人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだとわかっていたからである。
一方、ピラトが裁判の席に着いているときに、妻から伝言があった。
「あの正しい人に関係しないでください。 その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。」
しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。
そこで、総督が、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、人々は、「バラバを」と言った。
ピラトが、「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいのか」と言うと、
皆は、「十字架につけろ」と言った。
ピラトは、「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言ったが、
群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けた。
ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、
水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。
「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」
民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」
そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。
マタイによる福音書27:15-26
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
総督にはイエスを釈放する権限がありました。
(後年、使徒パウロは同じように祭司、長老らから死刑を求められますが、
時の総督は自らの判断でそれを保留しています。(使徒24、25章))
なのに、なぜか彼は祭りの度に行っていた恩赦を持ち出したのです。ちょうど過越祭の最中でした。
口実を作って民衆をなだめ、うまくイエスを釈放しようとしたのでしょうか。
奇しくもそのとき、同じイエスという名の囚人が収監されていました。
彼はバラバ・イエスといって、人殺しをした暴徒の一人です(マルコ15:7)。
ピラトはバラバを引き合いに出して、イエスとどちらを釈放してほしいか民衆に問いました。
「わたしはあの男に何の罪も見出せない」と判断した総督の行動とは思えません。
ちょうどその時、妻からの伝言がピラトのもとに届きました。裁判は明け方から行われていました。
「あの正しい人に関係しないでください。 その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。」
おそらく何か胸騒ぎを感じて、いてもたってもいられなくなったのでしょう。
ピラトの奥さんは夫が間違った道に進まないよう精一杯の警告を発したのかもしれません。
しかし、ピラトの提案は彼の思惑を超え、裏目に出てしまいます。
祭司長たちと長老たちによる扇動が奏功したのです。
「どちらを釈放してほしいのか」という問いに、群衆は無責任にも「バラバを」と叫び出しました。
そしてイエスに対しては、「十字架につけろ」と激しく叫ぶのでした。
イエスは群衆から暴動を起こした殺人者よりも悪人にされてしまったのです。
ほんの一週間前、「ホザナ」と連呼し、
ろばに乗ってエルサレムに入城したイエスを歓迎したのと同じ群衆でした。
自分の確信を持たず、ブームに流される。これが群衆というものなのでしょうか。
群衆の勢いに恐れをなしたピラトは圧力に屈し、イエスを十字架につけることを黙認してしまいます。
もしピラトに自分の信念を貫く勇気があったなら、この日、イエスが十字架につくことはなかったでしょう。
妻の「あの正しい人に関係しないでください」という警告に反し、
ピラトは、イエスの十字架に大きく関係する者となってしまいました。
彼の名はイエスを十字架に引き渡した総督として歴史に刻まれることになります。
女性の方が感覚が鋭いとよく言われます。
皆さんの奥さんも皆さんを守るために、直感的に警告を発することがあるかもしれません。
そんな経験はありませんか?
妻のサポートとはありがたいものです。
皆さんには奥さんの警告に耳を傾け、自分の行動を再確認する心の余裕がありますか?