子供に何かを頼んだ時、どんな反応が返ってきますか?

どこかの居酒屋なみに「はい、喜んで!」なんて言われたら気持ちがいいでしょうね。

でも、それが口だけだったらどうでしょう?


以下は、イエスがエルサレムで祭司長、長老たちに話したたとえ話しです。


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「ところで、あなたたちはどう思うか。
 ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、
 『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。

 兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。
 弟のところへも行って、同じことを言うと、
 弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。

 この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」

彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。

「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。
 なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。
 あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」

  マタイによる福音書21:28-32
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二人の息子を持つ父親が言いました。

「子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい」

兄は「いやです」と答えました。
しかし、彼は後で考え直してぶどう園へ出かけました。

弟は「お父さん、承知しました」と答えました。
しかし、ぶどう園へは出かけませんでした。


父親の望みを叶えたのはどちらでしょうか?


イエスは、当時、罪人と呼ばれていた徴税人や娼婦の方が、
民衆から重んじられていた祭司長や長老たちよりも先に神の国に入るだろうと予告しました。

徴税人や娼婦たちは、行いは悪かったかもしれませんが、洗礼者ヨハネの訓戒を聞き、
「考え直した」からです。


素直に「考え直し」、行動を改める者を神は喜んでくださるのです。


一度自分の意見を口に出したら、もう修正が利かないというわけではなりません。
私たちには「考え直す」ことが許されています。

一方、返事はいいけれども行いが伴わない者は歓迎されません。


生きている限り、修正のチャンスがあるというのは、ありがたいことです。

かたくなな態度を捨て、素直に「考え直す」、柔軟性が私たちには求められています。


今度、子供が自分の言葉を改め、軌道修正するのを見たら褒めてあげましょう。