イエスの言葉と生き様が、福音書にはありありと記録されています。
私たちはそれらから様々なことを学びます。
今日は、ある母親とイエスの会話を見ていきましょう。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。
すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、
「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。
しかし、イエスは何もお答えにならなかった。
そこで、弟子たちが近寄って来て願った。
「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」
イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。
しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。
イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、女は言った。
「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」
そこで、イエスはお答えになった。
「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」
そのとき、娘の病気はいやされた。
マタイによる福音書15:21-28
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
イエスが、ガリラヤ湖から北西約60キロ離れたティルス、シドンのあたりを旅していた時のことです。
カナン人の女がイエスに近づき、彼に叫びました。
「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」
彼女の娘は悪霊にひどく苦しめられていました。
イエスは何も答えません。
女性はあきらめずに叫びながら一行に着いていきます。
娘を思う必死な母親の姿が見て取れます。
たまらずに弟子たちはイエスに訴えました。
「この女を追い払ってください」
イエスは相手にできない理由を伝えました。
「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」
イエスは自分の役割をしっかり把握していました。
決して、この地方の人たちをないがしろにしていたわけではありません。
彼はすべての民が救われることを願っていました。(マタイ28:19)
ただ順序がありました。
「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。
そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、
また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
(使徒言行録1:8)
この地方は、この時一緒に旅をしていた弟子たちによって、もうしばらくすると
宣教されることになっていました。
そのためにも、イエスはまず「イスラエルの家」に集中する必要があったのです。
イエスがしっかりとした計画性とそれを遂行するための強い意志をもって行動していたことがわかります。
しかし、このお母さんはあきらめませんでした。
イエスの前にひれ伏して、「主よ、どうかお助けください」と必死に願い出ます。
イエスは彼女にこう言いました。
「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」
イスラエルの家を子供たち、このカナンの女を小犬にたとえて説明したのです。
それでも、この母親は引き下がりません。
むしろ、機転を利かせ、小犬という題材を使ってイエスに訴えました。
「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」
これにはイエスも感心してしまいます。
そして彼女に対してこう答えました。
「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」
イエスはカナン人の女の信仰を褒めました。
ちょうどそのとき、彼女の希望通り、娘の病気はいやされました。
イエスは、人の心の中にある必死さや熱心さを見て、柔軟に対応してくれる方のようです。
「まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、
彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。
言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。
しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」
(ルカによる福音書18:7-8)
今日、皆さんの中にイエスは何を見いだすのでしょう?
私たちはそれらから様々なことを学びます。
今日は、ある母親とイエスの会話を見ていきましょう。
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イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。
すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、
「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。
しかし、イエスは何もお答えにならなかった。
そこで、弟子たちが近寄って来て願った。
「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」
イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。
しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。
イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、女は言った。
「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」
そこで、イエスはお答えになった。
「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」
そのとき、娘の病気はいやされた。
マタイによる福音書15:21-28
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イエスが、ガリラヤ湖から北西約60キロ離れたティルス、シドンのあたりを旅していた時のことです。
カナン人の女がイエスに近づき、彼に叫びました。
「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」
彼女の娘は悪霊にひどく苦しめられていました。
イエスは何も答えません。
女性はあきらめずに叫びながら一行に着いていきます。
娘を思う必死な母親の姿が見て取れます。
たまらずに弟子たちはイエスに訴えました。
「この女を追い払ってください」
イエスは相手にできない理由を伝えました。
「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」
イエスは自分の役割をしっかり把握していました。
決して、この地方の人たちをないがしろにしていたわけではありません。
彼はすべての民が救われることを願っていました。(マタイ28:19)
ただ順序がありました。
「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。
そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、
また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
(使徒言行録1:8)
この地方は、この時一緒に旅をしていた弟子たちによって、もうしばらくすると
宣教されることになっていました。
そのためにも、イエスはまず「イスラエルの家」に集中する必要があったのです。
イエスがしっかりとした計画性とそれを遂行するための強い意志をもって行動していたことがわかります。
しかし、このお母さんはあきらめませんでした。
イエスの前にひれ伏して、「主よ、どうかお助けください」と必死に願い出ます。
イエスは彼女にこう言いました。
「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」
イスラエルの家を子供たち、このカナンの女を小犬にたとえて説明したのです。
それでも、この母親は引き下がりません。
むしろ、機転を利かせ、小犬という題材を使ってイエスに訴えました。
「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」
これにはイエスも感心してしまいます。
そして彼女に対してこう答えました。
「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」
イエスはカナン人の女の信仰を褒めました。
ちょうどそのとき、彼女の希望通り、娘の病気はいやされました。
イエスは、人の心の中にある必死さや熱心さを見て、柔軟に対応してくれる方のようです。
「まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、
彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。
言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。
しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」
(ルカによる福音書18:7-8)
今日、皆さんの中にイエスは何を見いだすのでしょう?