皆さんが祈るのはどんな時でしょう?

祈りは、いわばコミュニケーションです。
既にご存知の通り、イエスは神を「父」と表現しています。
ならば、祈りは「親子のコミュニケーション」ともいえるでしょう。

皆さんはお子さんに話しかけられたら嬉しいでしょう?
おそらく神も同じだと思います。
遠慮せず天の父に話しかけてみてはいかがでしょうか。

今日の「山上の説教」は、祈りについてです。


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「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。
 偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。
 はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。

 だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、
 隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。
 そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。

 また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。
 異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。
 彼らのまねをしてはならない。
 あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。

 だから、こう祈りなさい。

 『天におられるわたしたちの父よ、 
  御名が崇められますように。
  御国が来ますように。御心が行われますように、 
  天におけるように地の上にも。
  わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
  わたしたちの負い目を赦してください、
  わたしたちも自分に負い目のある人を
  赦しましたように。
  わたしたちを誘惑に遭わせず、
  悪い者から救ってください。』

 もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。
 しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」

  マタイによる福音書6:5-15
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施しと同じように、祈りも人に見てもらおうと行うのは偽善者がすることだそうです。

人目につかないところで祈るように。
そうすれば、隠れたことを隠れたところで見ておられる神が報いてくださるそうです。

また、言葉数多く、くどくどと祈ってはならない。
そんなにくどく祈らなくても、神は祈る前から皆さんのニーズをご存じなのです。

イエスはどう祈ればいいのか、アドバイスしました。
この祈りの言葉をよく味わってみてください。

「天におられるわたしたちの父よ、 
 御名が崇められますように。

 御国が来ますように。

 御心が行われますように、 
 天におけるように地の上にも。

 わたしたちに必要な糧を今日与えてください。

 わたしたちの負い目を赦してください、
 わたしたちも自分に負い目のある人を
 赦しましたように。

 わたしたちを誘惑に遭わせず、
 悪い者から救ってください。」


必要にして十分な内容です。
心を込めて祈るとわかります。

祈りについての教えの最後に、イエスは語りました。

「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。
 しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」

赦せば赦される。
赦さなければ赦されない。

赦しと祈りに何の関係があるのかとお思いになるかもしれません。

でも、イエスが祈りについて語る際、赦しについて触れているのはここだけではありません。

おそらく、赦さない心は効果的な祈りを妨げるのでしょう。


自分に負い目のある人を赦し、
隠れた場所に行き、
イエスの教えた通りに祈ってみましょう。