「父と母を敬いなさい」。
これは聖書の中にある大切な教えです。

お子さんがこれを実践してくれたら、親として一安心ではありませんか?

それが実現するよう、今年も良い種を日々蒔き続けたいものです。


イエスとその父である神との関係は輝きを放っています。

今日は、マルコ13章の最後の部分です。


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「その日、その時は、だれも知らない。
 天使たちも子も知らない。
 父だけがご存じである。

 気をつけて、目を覚ましていなさい。
 その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。

 それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、
 僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、
 門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。

 だから、目を覚ましていなさい。
 いつ家の主人が帰って来るのか、
 夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、
 あなたがたには分からないからである。

 主人が突然帰って来て、
 あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。

 あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。
 目を覚ましていなさい。」

  マルコによる福音書13:32-37
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「マルコ13章」で、イエスは世の終わりについて語ります。
上記の教えは、ここで一通り続いた終末に関する説明の最後の部分です。

イエスは次のように人々に伝えました。
「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである」

終末について事細かに人々に伝えたイエスでしたが、
その日がいつ来るか知りませんでした。

彼はそれを知っているのは父である神だけだと言っています。

「わたしと父とは一つである」(ヨハネ10:30)

福音書を読むとイエスが父である神と強い関係で結ばれているのが伝わってきます。

そのイエスさえ、父から知らされていないことがあったわけです。

「その日、その時」を知らされていなかったイエスですが、その話しぶりからは、
それに対する不満や不安は一切なく、むしろ、彼の父に対する絶対の信頼があるように感じられます。

父の忠実なメッセンジャーでもあるイエスはここで繰り返し人々に訴えています。
「目を覚ましていなさい」と。


「ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。
 そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。」
                                                   (Ⅱペトロ3:9)

「わたしたちの主の忍耐深さを、救いと考えなさい」
                   (Ⅱペトロ3:15)


今日も主の忍耐深さに感謝して私たちは生活するべきでしょう。


「目を覚ましていなさい」という呼びかけは、
「すべての人」に向けて語られているのです。