未曾有の大地震からもうすぐ一週間。


僕の住んでいる地区は停電の対象ではありません。


停電による交通や企業、首都機能の混乱などを想定して、そのようにしているのでしょう。


もちろん、郊外にも企業はたくさんあるし車も走っている。


都内だけが特別じゃないのはよくわかります。


外に出れば、普通の企業ビルから見える天井は煌々と明かりがつき、スーパーに行けば不要に物資が品切れしている。


郊外の友人は、都内が停電しないのだったら、都内に原発作ればいい、と言います。


自分たちの地区が停電することに、予約してた○○に行けない、楽しい○○ができないというグチをつぶやきます。


彼らの親戚は、メディアで常に取り上げられる地区で被害なく暮らしています。


被害の大きい地も大切だけど、僕はメディアがほったらかしにしている地区についても情報を出して欲しいと思っています。


彼らにそう言っても、聞こえないふりで軽く無視していきました。


なぜ長野方面の地震の被災状況を目にすることが少ないのでしょうか。


茨城も甚大な被害を受けているというのに。


無事な地域は資源を買い占めて、残り少ない冬を引きこもって越冬するかのように過ごしている。


実家のある西日本でさえそういう事態が起こっている場所もあるようです。


聞けば、被害のなかった被災地の住人も、食べ物もあり住める家をあえて出て、避難所の炊き出しにありついてると言います。



家と、財産と、大事な人を失った人たちは
「自分たちは大丈夫です」
「避難所にいられるだけましです」
「自分たちは命が助かったからまだましです」
と言っている。


持つものが少ない人ほど、他人を思いやっているように見える。


虚無感でいっぱいです。





とはいえ僕にできることは少なく。


電気を消し、水を節約し、ごはんや使う物はその日の分や必要最低限だけ買いに行きます。


あとは少しの募金。


他人から見たら、そんなの甘いと言われるでしょう。


その通りです。


でも、


もう何も言わないようにしようと思いました。


エゴイズムを見ず、聞かず、言わない。


できることをやる。


それだけにしようと思いました。





危険な中発電所の暴走を止めようと頑張っている人々。


手を取り合ってふんばっている被災者。


その人たちだけを見ます。