わたしが離婚した話をまた書く。




わたしと夫が出会ったのは、わたしが高校時代からお付き合いしていたひとと別れた半年後くらいだった。


高校生の時からお付き合いしていたひとは、2回浪人して、希望ではない大学に入って、中退して専門学校に行って。。。と迷走していた。

わたしはその間に短大を卒業して社会人になっていた。

通信の会社は当時ものすごく忙しく、日付が変わるくらいの残業もした。学生気分はすぐに吹っ飛んだ。


そんなこんなですれ違って別れてしまったけど、わたしは長くお付き合いしていても、愛情はあったから落ち込んだ。

ただ、最後の方は別れていないだけで、もう別々の世界で生きているな、彼とは合わないなと心の底ではわかっていた。


そんなわたしを見かねて、後輩が紹介してくれたのがのちの夫だった。


女性関係はだらしないところがあったが、お付き合いしているうちに整理していき、プロポーズされた。

「YOLがいなくなっても、俺は笑って生きていくよ。でも、YOLがいた時のように楽しくはないだろう」とケンカして別れ話になった時に言っていた。


以前も書いたが、元夫は子ども時代がなかなかハードで、父親の母親に対するDVや、母親が彼だけ置き去りにしていなくなったり、後に説明もなく迎えが来て母親と暮らすことになって父親に会えなくなったりと、波瀾万丈だった。


そんな過去があるのにいつもあっけらかんとして明るかった。

母を悲しませるから言わないけど、父にも本当は会いたいんだと笑って言っていた。


ハタチ頃、母が不倫して両親が離婚したわたしは、元夫のそんなカッコつけないありのまま受け入れているところがまぶしかった。

当時のわたしは自分の不幸をなかなか受け入れられなかったから。


結婚しても、わたしも夫も働いていたのでただの同棲みたいだった。

とても仲が良かったと思う。

お互い片親のわたしたちの結婚式には会社のひとたちがたくさん来てくれた。


そんなわたしたちに亀裂が入ったのは、わたしの妊娠だ。


夫も子どもを望んでいたのに、なぜか妊娠は受け入れられなかった。わたしの身体の中に違う生き物がいると思ったら怖いと言う。それは生理的嫌悪感。


仕事が忙しいと夫は家に帰らなくなった。


わたしは臨月まで働いて退職した。

実家から遠い街に住んでいたし、わたしには頼れる母もいない。誰も頼ることができないので子育てをしながら激務を続けることはできないと思って、もったいない会社だったけど退職した。


妊娠とともに持病のリウマチが急激に悪化した。

妊娠中なので治療もできず、身体中が痛み、わたしは歩くのもやっとで、簡単な家事すら辛かった。食器を洗うにも、お茶碗を持つのも痛い、料理をするにも野菜を切るだけで衝撃が来る。


わたしはできるだけ痛いと言わないようにしていたけど、緩慢な動作を見て、夫は内心イライラしているようだった。

わたしにひどいことを言いはしないけど、治らない病気はどうしてやることもできないから。


お腹が大きくなって、子どもが動いているのを感じて欲しかったけど、元夫は「気持ち悪っ❗️」と言った。すぐに失言だと気付いたようだが、出てしまった言葉はもう取り返しがつかなかった。


わたしは今と違って自己肯定感低かったので、妊娠中は仕方ないと彼を責めなかった。

赤ちゃんを迎える用意もひとりでした。


この時、夫は浮気をしていた。

飲み屋の女性ということだが、本当のところはわからない。

お腹の大きいわたしは動けなかったので。


明け方になっても帰らない夫に電話をしたけど出なかった。

わたしは留守番電話に「飲みつぶれて倒れているんじゃない❓連絡をください。連絡がなければ警察に連絡します」と留守電を入れた。


すぐに折り返しがあり、夫は帰宅した。


わたしは悟った。


わたしは産婦人科に検診に行ったまま入院になってしまった。


夫はわたしのお見舞いに来てもソワソワしてすぐに帰って行った。

相部屋の女性は、産婦人科から遠いところに住んでいるにも関わらず、頻繁にご主人が訪ねてきて、時間いっぱい面会していた。


わたしはその後、帝王切開で出産し、夫は長男を抱いて感動の涙を流した。


だが、立ち会い出産は怖いと断固拒否で、わたしが帝王切開になり、立ち会いできなかったことにホッとしているようだった。


夫は感動の涙を流したのが嘘のように、子どもを怖がった。首が据わってなくてぐにゃぐにゃしていて怖いと。オムツ替えも嫌がった。

リウマチで手も痛むわたしは毎日身体中の骨が砕けるんじゃないかと思うくらいの痛みの中にいるのに。

でも、わたしは夫を一切責めなかった。


あの時、責めればよかったな。。。


子どもが1歳になる前に夫が社員旅行で海外に行くことになった。

連日深夜帰宅で、予定もわからずパッキングもすべてわたしがやっていた。

「今日くらいは早く帰って来れない?」とわたしは聞いたが、1週間不在にするので仕事をしておかなければいけないと言って夫は家を出た。


その直後


「今日も早く帰るからね」とメールが入った。


女宛のメールを間違えてわたしに送ったのだ。

夫は毎日どこかのお家に早く帰宅していたのだろう。


話し合いすることもできず、夫は海外に旅立ち、わたしは実家に帰った。


離婚したかったが、わたしは出産直後で身体も言うことを聞かない状況。


夫はカルティエのピンク色の長財布をわたしへのお土産に実家に迎えにきた。

時が時だけに、父も今回は帰りなさいと言い、わたしは夫と共に帰宅した。


言いたいことを言いたかったけど、産前はマタニティブルー、産後は産後うつとか言って取り合ってもらえないんだろうな。。。

夫はわたしに謝罪して、女と別れてきた。

相手が誰だったのかはかたくなに言わなかった。

わたしも調べる気力がなかった。


そのうち子どもの首が据わり、腰が据わり、表情が豊かになり、カタコトの言葉が飛び出すようになると夫はようやく子どもを可愛がり始めた。

得体の知れない妊婦と思っていたわたしへの生理的嫌悪感も失せ、また頻繁に求めてくるようになった。


だが、わたしの気持ちが還って来なかった。


仲良くしなきゃならんのに、どうしても嫌悪感が拭えない。


授乳をやめてミルクに切り替え、わたしの体調も少しずつ快方に向かってきた。


でもどうしても以前のように愛せない。


わたしは夫の性的な求めを拒否するようになった。


夫が帰宅する車の音が聞こえると、部屋の電気を消して寝たふりをしたりね。


いちばんダメだったなと思ったのが、夫がわたしにキスしようとした時、わたしは思いっきり顔を顰めて拒否してしまったのだ。もう反射で。


それは、お腹の中の子どもが動いて波打つお腹を見て「気持ち悪っ❗️」と言った夫と同じ反応だった。


その時の夫の表情は、顔面蒼白という言葉がピッタリだった。

いつも何も言わずに許してくれていたわたしが、夫に嫌悪感を持っているなんて、夫は夢にも思っていなかったのだろう。

わたしはなにも言わなさすぎた。


マタニティブルーでも、産後うつでもいい。

言わなきゃならん時は言わなきゃならんかったのよ。


わたしは仕事も始めた。

短時間の病院の事務だったが。


それから夫の様子がまたおかしくなった。

でも、わたしは最初の浮気の時のような怒りはもうなかった。


夫の携帯電話はいつ見ても通話履歴もメールの履歴も1件も残っていなかった。


「離婚しよう」わたしは夫に申し出たが、夫はいつも拒否した。


本気にしてもらえていないのだろうか。


「あなたのしていることを責めていない。調べて責任を問うたりしない。相手の女性が誰かも調べない。子どものことが気がかりなら会えばいい。誰も悪くないんだからお金もいらない。わたしと子どもだけで実家に帰る。怒ってもいない。離婚して欲しい」


「もうわたしを自由にしてほしい」


どんな言い回しをしても、夫の答えはいつもNOだった。


わたしも夫も普段はおだやかに話しているし、ハタから見たらとても仲の良い夫婦に見えたと思う。


この頃からわたしはどんどん痩せ出した。

身長は161cmなのに体重が40キロを切るほどになった。

食欲はあって、食べることばかり考えていた。

嘔吐はない。病院からはわたしがムリなダイエットをしているのではないかと疑われ、入院を勧められた。

わたしも入院してそんなことしていないと証明したかったが、子どもがまだ1歳。。。ワンオペだしね。


遠くに住んでいるのに、父が頻繁にわたしを訪ねてくるようになった。

両手に買い物袋をぶらさげて、高い肉、果物、どこかの名水、お菓子。。。

そして毎回10万円くらいの現金を渡してくれた。


父「YOL、なにか困ったことがあるんじゃないか?」


わたし「なにもないよ。子どもはかわいいし、夫は優しいし、仕事も充実してる」


それは間違ってはないんだけどね。



そして11月の祝日に、遊びに来た義母を家まで送ると夫が子どもを連れて出かけた後、わたしは夫のカバンを漁った。


愛の言葉を書き綴った女の名刺が2枚。

見慣れないブランドの名刺入れ。


女の名前が書いてある名刺には「愛しています。全てがうまくいきますように」「これからもずっと好きです」と書いていた。


怒りよりも、ようやく別れられる。。。と思った。


夫が帰宅すると、わたしは女の名刺を見せた。

狼狽えた夫だが、同じ会社の後輩と肉体関係があることを認めた。


ペーパードライバーだったわたしは夫に送ってもらって実家に帰った。

帰り道で車の窓を開けて結婚指輪を投げ捨てた。


それに気づいた夫は錯乱したように怒り狂った。

わたしは無表情で夫を見ていた。

なぜ夫が怒るのか理由がわからなかった。