あれからもう30年

30年前の1978年の今日、あの宮城県沖地震があった。

その当時は中学生であれからもう30年も経っているのだが、いまだに当時の映像が脳裏に鮮明に蘇る。

その日一度目の地震発生時は授業中だったのだが、突然の激しい揺れに教室にあったテレビとそれをのせていた棚が大きく揺れ、窓ガラスはけたたましく嫌な音をたてて振動。
教師の「机の下に入れ!」の叫び声で恐怖のあまり一斉に生徒全員机の下に非難したのを覚えている。

二度目の地震の時は、グラウンドでクラブの練習をしていた時に突然の地響きと共に信じられない光景が。

電信柱がメトロノームのように揺れていたのである。

初めてみる光景と揺れに心臓の鼓動が半端じゃなく脈打っていた。

結局、午後のクラブの時間まで二回も大きな揺れに見まわれたため、クラブの練習を中断させられ各自帰宅命令が…。
クラブの練習を引き上げる前グランドで練習していた野球部の連中が大騒ぎしていたのでいってみると、なんとグラウンドに地割れの亀裂が走っていた。

また、校舎の近くでやはり騒いでいた連中がいたので行ってみると、なんと校舎が土台から1~2cm位ずれていたのである。

二回目の地震時はもう完全に学校にいる生徒全員パニック状態。

そうこうしているうちに町内放送、いや部落放送で「避難所に非難して下さい」の放送が響き渡る。
「え~、俺んち海の近くなんだけど親は大丈夫か~」。

そんな心配もよそにとにかく生徒は避難所に行くようにと教師に追いまくられ、仕方なく指定避難所である小学校へ非難せよとのこと!
結局、小学校に非難したのだが幸いにも母方のばあちゃん家が小学校の直ぐ近くだったんで電話で親の状況確認が出来たので{ホッ!」と一安心。

その後、数回の余震はあったが帰宅出来る状態に。

海岸に面している地元は、地震がおきると津波による二次災害の心配があったのだが、なんとかそれは免れた。

薄暗くなった夕方に家にたどり着くことが出来たのだが、定かではないがやはり夜まで余震は続いていた気がする。

地震も怖いが、海が目の前の実家では津波の恐怖がついてまわる。

1968年の十勝沖地震。
まだ小さかったワシは、母親の背中におんぶされ高台に非難する時に見た津波の光景。
あのすさまじい津波の破壊力もまた今だ忘れられない。

あ~、体調悪いのに何か長々とカキコしてしまった~。

明日は会社の創立記念で、ディズニーランドorディズニーシー行くことになっていや~す。

楽しみ、楽しみ!

何せ20年振りだし!
