お客様と店内で話していたら突然足音がする

初めはイタチ?と思っていたけれどどうも気になるので裏口のドアに近づくと人影あり

たぶんお互いにビックリ

初対面のお客様とすっごい裏口&物置場で初顔合わせ

  

香川県に来る用事があったので初めての四国だし

ここまで来たらダートウイエイに立ち寄ろうと思ってくれたお客様

まったくコンタクトは無く、知らない者同士だけどブログを見てくれているランクル100を所有するお客様

とてもありがたい事です

   

それも保冷剤を入れて生のお蕎麦を持ってきて下さった

  

    

  

パンフレットの地図だけなのに涙が出てきそうなほどこの付近の風景が頭の中に広がる

初めはスキーにそれからは四季折々によく通った信州でも好きなエリアです

   

      

  

母を連れてそば巡りをしたい気がしてきた

  

    

 

おそばはざるそば風にして食べたら美味しくて母と共に味わう

   

    

 

一緒に食べながら松本市での思い出といつか行きたいなと言う声を母から聞かされた

徳島の西部、池田町に近い三好町足代に昭和11年に生まれた

兄弟のたくさんいる長女だったので中学を卒業すると同時に就職をした

  

徳島市に近い鴨島町にあった製糸会社に勤務

女工として苦しい仕事を真面目に頑張っていたらしい

4年ほど経ち上司数名や工場長に推薦されて職員になれることになる

何が違うん?と聞くと女工と違って作業はせずに作業場を見回ったり工員の点数を付けたりする役目

  

そんな職員になるために研修の為に出張することになる

その場所が松本市栄町にあった工場らしいけれどすでに会社名は忘れたとのこと

全国あちこちから職員になる研修を受けに来ていて

日曜日になるとそんな女性達をあちらこちらに連れて行ってくれたそうだ

美ヶ原高原、諏訪湖、松本城など毎週出かけていたらしい

  

3ヶ月か半年とかそんな記憶らしいけれどあの頃のみんなに会いたいわと聞いたので

交友がないからすでに見ても分からないのではと突っ込んだものの少し可哀想だった

そんな訳で松本市での研修は苦しくも無く楽しい思い出しか残っていないらしい

  

なかなか女工から職員には選ばれんかったんよと言う母

当時の環境からして天と地の差があったに違いない

こうなれば元気なうちに是非とも松本市めぐりに連れて行ってあげようと決めた

製糸会社があった栄町にも行ってみたい

結婚して一緒に暮らしたのは18年ほどという早さで他界してしまった父の代わりに

母の色んなドラマや自慢話を是非とも聞いてあげたい

     

これからは寒くなるので春になり暖かくなれば必ず行くぞ松本市

と誓うことになったキッカケをいただいた松本市のお客様

何もお礼もせずにお名前さえ聞かずに高松道へと送り出しだしたけれど

本当にありがとうございました