終戦記念日前になると放送される過去のドキュメンタリー番組や各種式典のようす
原爆を投下された広島・長崎の平和の式典もある
大勢の方が亡くなった核兵器の悲惨さを訴えるこの式典は世界中ではどんな扱いで報道され
一般の人にどこまでどんな風に見られているのか興味深い
災害では無くそれが戦争である限り当時の連合国各国は本音は大義として考えているのでは?
  
勘違いすると困るのは核兵器が悪いのでは無く通常兵器も市民を犠牲にする戦争も悪い
徳島のような田舎の町にでも歴史上悲惨さが残る徳島大空襲
1000人が亡くなり負傷者2000名
7万人以上が家を失う
これって紛れもない大惨事である
東京大空襲から各地方の小さな市の大空襲まで日本の市民は米国の空爆を受けている
  
イラクやアフガンで誤爆として取り扱われる人数とはケタが違う
核兵器の無い世界をではなく国同士が戦争を起こさないようにギリギリのところでの
外交努力をする義務を過去の過ちから学ぶべきだ
  
沖縄で命を落とした市民から自分の意思では無く教育されて育った中での出兵した人や
戦争による犠牲者すべての人が平等に平和を望む権利がある
簡単に軍事衝突などという言葉を使うがそれは政府側の人間の失敗であるべきはず
他国を悪者にして終わるのでは無く努力も譲歩もお互いに必要
  
昨今の海での緊張から目の前にある衝突に一番近そうな中国
しかし資源も土地も人も豊富でしかも地方は開発途上にあるわけだし
日本が持たない歴史や技術もある
素直に中国と手を結べばお互いに力強いパートナーとなる可能性は高いはず
現実的に無理だとして敵視しているかのように思える両国
政府としての機能が理想のカタチとして動いているとは思えない
   
政治家としてのメンツや国としての体裁の基準を今までの枠に入れず
新しい目線で見ない限り世界平和は訪れない
各国が譲歩しすぎる必要は無いとしてもそのテーブルに着くまでは
譲歩していく義務があることを感じて欲しい
譲歩の割合を軍事力で決めることがないようにするのも本来の大国の役目
平和への第一歩はその時代の人の力にかかってる