小学校・中学校と両親に遊んでばかりでどうするつもりなんだとよく言われた記憶がある
さすがにそのころの遊びとは友達と遊び回ってただけだったようだ
高校に入る年代になると遊びという言葉にも分類が出来てきた
学校や勉強をただ単にサボる者
ちょっと大人の世界に近づきツッパリに目覚める者
スポーツや習い事に打ち込む者
趣味に没頭する者
今考えればすべてに遊びという言葉はふさわしくない
楽しく愉快に過ごすなど、ある瞬間の時にしか無いことが分かってくる
ツッパリにもスポーツにも趣味にも、遊びの軽い気持ちじゃ続かないし必死にならないと大成しない
そんな頃から少しづつ年齢を重ねる度にテーマが変わり今に至る
趣味が仕事に変わったりスポーツが社会での生存競争に変わったり
途中で必死になることから避けた者は、楽になったのだろうか?
本物を手に入れられないままでは、本物の楽しみも味わえず、喜びも半減しそうだ
人生において花開くことなど生きてる間には味わえないかもしれない
それでも命をかけて最後まで頑張る人がいる
力の限り生きる人を身近で見て、僕も余計に自分もそうでありたいし、それが男らしいと感じてる
生きるにはお金は必要
でもお金には屈しないし、必死に命をかけて生きていない者にも屈しない
従うのは自分が認めた人だけ
相手が強い立場の集団でも意味もなく頭は下げられないけど、弱い立場の人には優しくできる
そんな思想と行動が男らしい理想の生き方
長く生きる事よりも、男らしく生き通す方をすでに選んでいるのかも知れない