昨日の正午過ぎにダートウエイの電話が鳴る、携帯からだった
気仙沼のお客様から無事だという知らせのメールが届き、胸をなでおろした日から12日目
仮の電柱が立てられ、時間の制限はあるけど電気も使えるようになり携帯から連絡をくれた
職場からスムーズに避難できて無事だったとのこと
そして今は自宅に避難している
偶然にも自宅が高台にあり家族の方や、避難してきた親戚の方と一緒に暮らす日々
暮らすと言っても電気がようやくきただけで、水も出ないし、食料もない、燃料も、電話回線もない
避難所に行くと食事はあるけど行けばその分迷惑がかかる、だから家で頑張ってると聞いた
給水所まで行けば飲み水は確保できる
薪を燃やせば寒さもしのげる
食料はもちろんあるもの、手に入る食材を食べている
それでもすべてを失ってしまった人を考えれば頑張れるエネルギーになる
復興と言ってもすべて無くなった場所では何も出来ない
何かをしようと思っても何もかもが無い
それが現実なんだと
営業所止めなら荷物は届くけど、近くの営業所は津波に流され行くのは仙台市内まで
取りに行ってたくさんの荷物の中から選んでもらうまでの時間もあり一日がかり
燃料の確保もしなければ行きたくても行けず
支援する側も避難するすべての場所と人の把握をしたいところなんだけど
あまりにも被害を受けた土地が広大すぎてなかなか進まない
それでもココロは折れていなかった
しっかりと前を向いている
何からやれば良いのか、考えられる範囲を大きく超えているけれど
今を全力で生きている
長く続くであろう復興までの年月
支援する我々の側も長く続ける決意が必要だろう