会社の前の歩道
ちょうど小さな車が入るサイズ
以前にもそこに停めて普通に入ってきたお客様にご丁重に帰ってもらった事があった
昨日も完全に歩道をふさいで停車する車
会社を過ぎて、奥の家の方に歩いていった
どこかを探しているのだろうと思った
そういえば先日も来ていた人のようだ・・ 思い出した
しばらくして、帰ってきたのでまあいいか~って思ってたら
今度は資料を持って車をロックをして歩いて行く
これは確信犯だと思い、優しく聞いてみた
「おたくは、どちら様ですか?」
「○○○○です」
「保険屋さんですか~」
「そうですが・・」
「保険屋って、困ってる人を助ける仕事ちゃうんかい?
そんなところに車停めて子供や散歩中の年配の人が事故にあったらどうすんの?
保険屋ならそのぐらい考えて行動したらどうなん!」
「はい、すいませんスグにのけますので」
「なに? すいませんて言う相手が違うだろう・・
日本の社会に謝りなさい、事故を誘発して被害に遭うかもしれない子供に謝りなさい」
「はい、すいません・・・」
こんな感じでその場しのぎの対応だ
自分の仕事の事で頭がいっぱいなのは誰も同じ
サラリーマンはノルマを達成しなければ上司に怒られるとか給料が少ないとか、色んな事で困るだろうけど
ダートウエイなんか、赤字が続けば給料が減るどころの騒ぎではない
それでも、出来るだけ気配りをしようとしている、つもり・・
エコや環境運動は、本来行動して当たり前のモノ
それを企業や人々は自分たちの飾りに使う、装飾品のように
それよりももっと身近な日々の行動に大切なものがあるはず
近所の人も見て見ぬふりをして遠ざかって行った
みんな、逃げるが勝ちを選んでる
自分に害が及ぶような危険性があれば目も合わせず逃げて行く
昨日の事でなくても、逃げ腰でいつでも脱出出来るように構えてる
自然災害にはそれでいいけれど、人が相手なら逃げたらアカン
日本て平和そうだけど、一生懸命に生きる人が少ないからぶつからないだけだ
戦争をするのでも単に喧嘩をするのでもない
言いにくいことは、言わなくても分かってくれるだろうなんて甘いこと
うわべだけで塗り固められた現代の人間社会
氷河の氷が溶けるように、スッと気がつけば誰も跡形もなくいなくなる
昔あった人情あふれる時代に戻るのは難しいし、戻る必要もない
ただ、新しい時代を作ればいいだけだ
特別な事ではない
どんな社会にしたいか
みんな考えられるはず
そのために教育を受けて来たはずだし
社会で勉強を積んできたはず
変えるのは国民一人一人
変えるぞーって号令を出すのは政府
カリスマ的な指導者が日本に欲しい時代となったとつくづく思う