先週末、、 | a.k.a JINOの監督日記

a.k.a JINOの監督日記

映像作家・宮野ケイジが、日々の何気ないプライベートな出来事や制作日記を綴る独り言。。

東映本社試写室での

「不良少年 3000人の総番(アタマ)」

マスコミ試写の最終日


a.k.a JINOの監督日記

http://furyou-3000.com/


残念ながら自分は行けなかったのですが、、


多くの方々にご来場いただけたとのこと


ありがとうございました。



劇場も東京をはじめ


名古屋や大阪も日程が決まり


オフィシャルとして発表されました。


今後さらに広がることを願います。。





改めて振り返ると、、

実はこの企画が始まる直前まで


アウトローのリアルドキュメンタリーを撮っていたから


本物の不良が持つ棘に触れ、、


触感や匂いを残したまま今作にクロスフェードした。




今で言う不良は


犯罪の匂いと共に社会からハミ出した者として


アウトロー的にカテゴリーされてしまったように思うけど




今回の原作は70年代の話、、


原作者であり共同脚本家でもある


遠藤夏輝氏の著書「東京不良少年伝説」の中で描かれている各エピソードから



今作は御自身の高校時代を切り取った原案を元にした


ある日常の一片、、 



ツッパリも(当時の表現)、スポーツが得意なお調子者も、優等生も皆分け隔てることない仲間であり


そんな仲間たちをまとめているのが番長。



喧嘩が強いだけでもない


その資質とは?


その男が護るものとは?



 

出る杭も打たれない


ガキ大将がまだまだ社会で容認されていたそんな時代


横並びこそが悪だったはずだ。



そんな学校という社会の中で


リーダーという存在だったツッパリが護るべきモノも


ルールも絆の意味も


いたってシンプル、、


物事も複雑には考えない



まさに原点なのだろうと思う。




今の時代は自分も含めグレーゾーンで折り合いをつけながら生きるのが


社会の基本ルールみたいなもんだから複雑で明確な答えも出ない、、


白か黒か、、で生きるアウトローでさえ


黒の中のグラデーションに苦悩していると感じる、、




古きよき時代に生きる不良少年たちの


未成熟でありながらも純粋な心の揺らぎから浮き出る


温度感や鮮度を丁寧に


小細工なしで



それこそシンプルに描いてみたいと考えた。



脚本においても説明的な要素は一切排除、、撮り方も。



撮影現場でも俳優とディスカッションをして


徹底的な引き算でヒリヒリするほど削ぐ作業をし


またドキュメンタリー的な距離感をチョイスしながら



役を懸命に生きる人間として俳優たちをフレームにおさめようと、、




準備期間も短く


かなり厳しい諸条件の中で試練と闘いながら制作した今作品。




ノスタルジックなムードは漂わせながらも、、新鮮





地図にない抜け道を見つけた時のような、、

 


どこかそんな感覚。



ある意味


足跡は残せた、、はずだ。