海に向かう夏休みの子供達
 
連日発表される感染者数。
東京に続きGoTo対象外にされた、高齢者と若者の団体。
 
梅雨明けは間近、夏目前の今、このコロナ禍の中で『おうち時間の充実』『快適なテレワークエリアの作り方』を語られても、
 
(いや…、もうやり尽くしたから…)
 
というのが正直なところではないでしょうか。
 
再びの感染者激増でテレワークも終わりが見えず、休校なんてワードも聞こえてきます。
 
レジャーは?
海は?
プールは?
 
誰も知らない、ウィルスと共に過ごす夏が来ます。
 
 

子供達は疲れている?

先日、地域の子供会からの頼みで、小学校高学年の子供達にSNSについての話をする機会があったのですが、今まで参加した行事とは、明らかに子供達の様子が違いました。
 

子供達の覇気の無さ

子供会の行事が多少面倒でも、友達と会えたり、終わった後にお菓子が配られたりで、そこそこ楽しそうにしてくれているのが常だったのですが、会場を見回して感じたのは、全体的な覇気のなさ。
 
子供だから元気、というのが当たり前ではないことは百も承知ですが、元気がないとか気力がないとか、そういったものを超えて、笑顔の裏にも常に疲れがこびりついているような、知らなくても良いことを知ってしまったかのような、大人びた疲れ方をしていて、猛烈な違和感を覚えました。
 
SNS関連の犯罪や、スマートフォンの活用法や危険性については、保護者の関心度も高く、多くの方が子供の後ろで聞いて下さっていたので、私はあえて、子供達に聞いてみました。
 
「みんな、疲れてる?」
 
それまで黙って聞いていて、何かを問いかけても、ポツリポツリとしか話さなかった子供達から、一斉に声があがりました。
 
「当たり前じゃん!」
「毎日忙しすぎる!」
 

「日常」をなくした学校

 
子供会の行事の最後に「疲れてる?」と聞かれたら、普段なら、この子供会の集まり自体に疲れたかを聞かれたと感じて、「飽きた」「いつ終わる?」「お菓子配って!」あたりの声が挙がるところですが、この時の子供達は、みんな学校への疲れを口にしていました。
 
「忙しいって学校が? 何に疲れてるの?」
 
問いかけてみたところ、このような答えが帰ってきました。
 
・授業1コマの時間を短縮して、1日7時間や8時間授業をして、科目が次から次へと変わるから落ち着かない。
・遅れを取り戻すために宿題が増やされていて、家に帰ってもやる事が多い。
・密を避けるために、休み時間に友達の席に行けなくて、席が遠い子と話せない。
・給食は班の形に机をくっつけず、全員前を向いて食べて、会話が禁止で、楽しくない。
・放課後に遊ぶのが禁止で、楽しくない。
・運動会や修学旅行ができるかが、誰に聞いてもわからない。
・親がいつもイライラしている。
・留守番ばかり。
 
溢れ出した不満の声を、止めようとする保護者はおらず、その場にいる大人全員が、子供達が吐き出すストレスを受け止めていました。
 
ひと通り話しきり、ふと静寂が訪れた時、
 
「でも」
 
普段おとなしい女の子が、ぽつりと言いました。
 
「どうしてこうなったか、みんなわかってるから、我慢してる」
 
どうしてこうなったかは、コロナのせい。
みんなわかってるから、文句は言えない。
 
今の子供は、本当によく教育されていて、胸が痛くなりました。
ただ、「自粛できない大人のせい」「社会活動を停止ぜきないため」などの理由までには至らず、その幼さに、我々大人は随分甘えてきたものだ、と感じました。
 
であれば、私達大人には、せめて少しでも楽しめる夏にしてあげる、いえ、させてもらう義務があると思ったのですが──、
 

夏休みにしたいこと

「じゃあ、夏休みに何したい?」
 
そう聞いても、彼らはもう、お祭りもプールもキャンプも、何も望んでいませんでした。
 
「休みたい」
「ゆっくりしたい」
 
そう、彼らには、2週間しか夏休みがありませんでした。
その短い間に、どこかに旅行に出かけるよりも、
 
「たくさん寝たい」
「家でいっぱいゲームしてたい」
 
とにかく、ゆっくりしていたい。
尋常な疲れ方ではありませんでした。
 
「ハンモックほしいな。ベランダとかに」
「うちは庭だな〜」
「廊下でいいや」
 
ハンモックというワードへの飛び方が全てを象徴しているように思えましたが、
 
「ドライブなら行きたいかも。窓開けて、寝ながら外見てたい」
「海とか山とか走ってほしいかも」
 
少し前向きな提案が聞けて、ほっとする保護者の方達の表情も印象的でした。
 
まともに遊べない期間が続いていますが、夏休みだからといって、無理にどこかに行く必要はないのかもしれない。
そんな事を感じました。