昔からの本を読むと およそ 同じことを言っている
自殺した魂は 生きていた時の 苦しみどころじゃ ないそうだ
本当かどうかは わからないけど
信用している
私は弱い人間だから
自分で命を絶つことだけは
やめようと 生きてきた
こんな姿になったって
おもしろいじゃない
KIKI KILIN 75才
これは7月中旬頃、希林さんにインタビューを申し込んだ1週間後に届いたFAXだという。
「生きづらさを抱える人たちに向けてメッセージを頂けませんか」
そんな依頼に対して、
「ずっとずっと考えていて、お返事が遅くなっちゃったの。ごめんなさいね」
「どうしたら伝わるのかしら。本当に無力よね、まったく書けないの」
と話した後に、送ってくれたFAXだという。
一時危篤に陥った、先日の手術をする、少し前。
癌と戦い続ける人の言葉。
心からの言葉なのだろうなと思う。
2015年の8月22日には、『登校拒否・不登校を考える全国合宿』の中の講演会で、このように話している。
新学期が始まる日、まわりのみんなが
「おはよう、今日から学校だね」
って笑顔で言葉を交わすとき、
「私は学校に行きたくない」
ということを考える気持ち、何となくわかります。
だから思うの、そう思うこと、それはそれでいいじゃないって。
私は小さいとき、自閉傾向の強い子どもでね、じっと人のことを観察してた。
学校に行かない日もあったけど、父は決まって
「行かなくてもいいよ、それよりこっちにおいで、こっちにおいで」
って言ってくれたの。
だから、私の子どもがそういうことになったら、父と同じことを言うと思う。
それにね、学校に行かないからって、何もしないわけじゃないでしょう。
人間にはどんなにつまらないことでも「役目」というのがあるの。
「お役目ご苦労様」
と言ってもらえると、大人だってうれしいでしょう。
子どもだったら、とくにやる気が出るんじゃないかな。
ただね「ずっと不登校でいる」というのは子ども自身、すごく辛抱がいることだと思う。
うちの夫がある日、こう言ったの。
「お前な、グレるってのはたいへんなんだぞ。すごいエネルギーがいるんだ。そして、グレ続けるっていうのも苦しいんだぞ」
って。
ある意味で、不登校もそうなんじゃないかと思うの。
学校には行かないかもしれないけど、自分が存在することで、他人や世の中をちょっとウキウキさせることができるものと出会える。
そういう機会って絶対訪れます。
私が劇団に入ったのは18歳のとき。
全然必要とされない役者だった。
美人でもないし、配役だって「通行人A」とかそんなのばっかり。
でも、その役者という仕事を50年以上、続けてこられたの。
だから、9月1日がイヤだなって思ったら、自殺するより、もうちょっとだけ待っていてほしいの。
そして、世の中をこう、じっと見ててほしいのね。
あなたを必要としてくれる人や物が見つかるから。
だって、世の中に必要のない人間なんていないんだから。
私も全身にガンを患ったけれど、大丈夫。
私みたいに歳をとれば、ガンとか脳卒中とか、死ぬ理由はいっぱいあるから。
無理して、いま死ななくていいじゃない。
だからさ、それまでずっと居てよ、フラフラとさ。
(引用元 http://www.futoko.org/news/page1117-5566.html)
身近に不登校だの発達障害だのな子達がいるので、ものすごーく思うのだが、学校の中でする事は、『多くの子ができる事』がほとんどだ。
勉強、運動、集団行動、休み時間すらそうだ。
その『多くの子』に該当しないと、できる側にいても、できない側にいても、過ごしづらくなる。
『少数の子ができる事』
『少数の子に合うやり方』
それをしてくれる場が、あまりに少ない。
普通級か支援級、どちらかしかなくて、その間の通級指導教室だの特別支援教室だのは、順番待ちの大行列な上、週イチ以下しか受けられなかったりする。
教員だの設備だのが足りなければ、義務教育にも、通信教育を作ればいいじゃないかと思う。
ダメな理由がわからない。
子供は外で元気に
子供はみんなで学校へ
そんな常識に潰される子だっているんだって、教育委員会とか文科省は、いつまで見て見ぬフリするんだろうな…。