大人の男が、泣きながら必死に話す様があまりに悲痛で、積極的には見なかった。
縁もゆかりもない私ですらそうなのだから、共にDASH村を盛り上げ、共に被災し、共に復興の道を歩んだ福島の人達は、この会見を、どのような気持ちで見たのか…。
と、思っていたら、福島の人達は、ただ見ているだけではなかった。
#今度は福島がTOKIOを応援する番だ
一目、見ただけでわかる。
糾弾されるTOKIOに恩を返すべく、福島の人達が、動き出していた。
(以下の斜体部分 https://twitter.com/i/moments/991683665410146304より引用)
『した事は消えない。でも、してくれた事も消えない』
『浪江でDASH村を作ってくれた。
風評被害で誰も寄り付かないようなところに県を代表して立ってくれた』
『たとえあれが「ただの仕事のひとつ」だったとしても、TOKIOが福島を支えてくれたことは事実。
(山口くんのことは到底許されることではないけれど)手のひら返したみたいに切り捨てるような真似されたら悲しい。
いち県民として福島には心意気を見せて欲しいぞ』
TOKIO = 福島、というくらいに、彼らが福島を応援している事は、浸透していた。
福島の人達の感謝の念、その深さを感じるツイートである。
『本当にTOKIOの皆さんには、福島県はお世話になりました。このハッシュタグ使わせていただきます!』
…という、市議会議員からの声まである。
公人の発言にはリスクが伴うし、ネット上の発言は、完全に消すのは難しい。
それでもこんな投稿をさせるほど、TOKIOは頑張っていたのだろう。
『農家は野菜や果物を出荷もできず、酪農家は搾った牛乳を畑に捨てた。
いくら検査をしても風評被害は消えず、福島の作物は苦労を嘲笑うように買い叩かれた。
そんななかで彼らは、福島の顔になってくれたんだよ』
福島の人達が抱く、TOKIOへの感謝の念は、震災後に福島を苦しめた、風評被害の深刻さと比例している。
このツイートには、福島の生産者達の苦悩と、SNSが発展したからこその拡散スピードと『消えなさ』を持つ風評被害の恐ろしさ、攻撃力を感じた。
そんな中で、福島の野菜をカゴいっぱいに抱えて笑う、TOKIOのメンバーのCMやポスターは、福島の人達を、どれだけ勇気づけたことだろう。
『このようなことを起こしてしまったことも事実ですが、ずっと福島を応援し続けてきてくれたことも、消えない事実です。
福島県民である私個人としては、感謝の気持ちがあるのも事実。
地元スーパーの階段の踊り場に貼られたTOKIOのポスターに力を貰っていたのも事実』
この、お祭り騒ぎのような報道の中で、冷静に事実を見つめる事ができる人がいる。
それは、TOKIOが福島にしてきた事の、結果であるように思える。
『福島県民としてTOKIOの存在はとても大きかったと思います。
県産農産物のPRポスター撤去するのは簡単だけれど、今までTOKIOが風評払拭の為にどれほど尽力したかを考えると、もう一度イメージキャラクターとして再起用するくらいの懐の深さを、福島県は見せるべき!』
……どれほど尽力すれば、こんな事を言ってもらえるのだろう。
TOKIOが再起用された時、そこに山口の姿がなくても、福島の人達には、彼の笑顔が見えるのだろうか。
『手のひら返しを一蹴するタグ。
ノーギャラで福島を発信し続けたTOKIOの功績はひとつも傷ついてないんだから。
ひとつの事件で、過去すべてを否定する行為は、福島県民じゃなくても違和感しかないし、現代の闇だと思う』
鋭い……。
この人は、福島の人ではないのかもしれないが、ここに気づけずバッシングを続ければ、こちらの品性も問われるかもしれない。
今回の山口の事件は、大人として、男として、公人として、アイドルとして、到底許されるものではない。
だが、この、許す許さないを決めるのは、いったい誰なのか。
TOKIOに投資をした人、TOKIOと仕事で関わった人、TOKIOに期待していた人は、決める権利があるだろう。
だが今、テレビやネットで騒いでいる人の、私を含めるほとんどの人が、『TOKIOに何もしていないし、TOKIOから何もされていない』のではないか。
で、あるなら、もうそろそろ祭りを終えて、後は『当事者』同士が決めていけば良いのではないか。
良い方向に返すのなら、手のひら返しは恥ではないと、言い訳をさせてもらいたい。
ジャッジする立場にない者は黙り、許せる当事者は許して受け入れ、許せない当事者は、無理に許す必要はない。
ただ、許されないままでも、できる事はある。
山口が考え、尽力するべきは、そこの部分かな、と思う。
そして、
復帰するなら、TOKIOじゃなくて、福島県に復帰すればいいよ……と思う。
こんな福島の人達と飲んでいれば、きっともう、こんな事は起きないだろうから。
