中日春秋
2014年6月14日
 英国の名門イートン校の生徒手帳にはかつて、こんな心得が記されていた。「爆撃・爆破の警報が出た場合の対処法 建物が近くにある場合は、すぐ中に退避せよ。室内にいる場合は、飛散するガラスを避けるため窓を開けカーテンは閉めよ。運動場にいる場合には、試合を続行せよ」
▼さすがはサッカーやラグビーなど雨天決行のスポーツを生んだ国。いったん試合に臨めば、それこそ雨が降ろうが槍(やり)が降ろうが闘いに集中せよということか
▼名作『一九八四年』などの作者ジョージ・オーウェルもこの名門校の卒業生で、こんな言葉を残している。「スポーツの真剣勝負とは、銃撃なき戦争だ」。その銃撃なき戦争が、時として銃撃を止める力を持つ
▼ついに開幕したサッカー・ワールドカップで、あす日本代表が初戦を戦うコートジボワールは、長く宗教や地域対立が複雑に入り組んだ内戦に苦しんできた。同国代表が初のW杯切符を勝ち取った時、ドログバ選手は和平への思いを語り、国民の心を動かしたそうだ
▼「私たちはこの国の人々がともに生き、同じゴールに向かいプレーできることを証明した。次は皆さんがやってみせてください。武器を置いてください」
▼直径二十二センチほどのボール一つが、直径一万二千七百キロの惑星の人々の目をくぎ付けにし、心を動かす。宇宙人が見たら、不思議な球に見えるに違いない。
中日春秋
2014年6月13日
 古代ギリシャの哲人アリストテレスは、「ウナギは大地のはらわたから生まれる」と考えたという。日本では、山芋がウナギになるという言い伝えがあった。なるほど、どちらもぬるぬるとつかみがたく、食べれば精がつく
▼美濃出身の僧で落語の祖とされる安楽庵策伝は『醒睡笑』にこんな話を書いた。肉食を禁じられた僧がウナギを割いて食べようとしているところを人に見られてしまった。僧の言い訳は「山の芋を汁にして食べようと取り寄せたら、見る見るうちに、ウナギになってしまって…」
▼国際自然保護連合が、ニホンウナギを絶滅危惧種に登録した。それこそウナギのぼりに値が上がってから、すっかり縁遠くなってしまったウナギではあるが、「近い将来、絶滅の危険性がある」と聞けば、何とも心苦しくなる
▼古来解けぬ謎だったニホンウナギの産卵現場を突き止めた生物学者の塚本勝巳さんは、今の大量消費ぶりは「シーラカンスの回転ずしや、トキの焼き鳥」みたいなものだと言い、「十年ぐらい成魚も稚魚も捕るのを我慢しないと本当に危ない」と、警告する
▼絶滅危惧種に登録されても、それだけで売買が禁止されるわけではないが、このまま減り続ければ、それこそ禁制品になってしまうかもしれぬ
▼禁じられたウナギに手を出して、「いや山の芋を…」と言い募る羽目になっては笑い事ではない。
中日春秋
2014年6月12日
 開くべきか、開けぬべきか、それが問題だ。諫早湾の干拓事業で海をせき止める巨大な門を前に、政府がハムレットを演じている。海のめぐりを断たれ幸を失った漁民たちは「開け」と言い、干拓地の農民たちは「開けるな」と言う
▼佐賀の裁判所は漁民の訴えを認めて「開けぬのなら制裁金を払え」と政府に命じ、長崎の裁判所は農民の求めに応じ「開けるのなら制裁金を払え」と命じた
▼なぜそんな真逆の命令を裁判所は出したのか。板挟みになった政府にどうせよと言うのか。そんな疑問もわいてこよう
▼だが、このハムレットはくせ者だ。そもそも福岡高裁が干拓事業による漁業被害を認め、開門を命じたのは三年半も前のこと。政府も判決を受け入れた。それでも開門しなかったから、佐賀の裁判所は制裁金支払いを命じた
▼当然、開門禁止を求められた長崎の裁判では政府が「漁業被害があるから開門は必要」と主張すべきなのに、そうはしなかった。政府の態度がこうでは、相反する命令を裁判所が出すのも無理はない。自業自得の板挟み劇だ
▼きょうから政府は漁民らに一日四十九万円を払うことになる。彼らの弁護団長を務める馬奈木昭雄さんは「これは税金。個人の懐に入れることは絶対ない。公共の利益のため、海の再生のために使います。税金はどう使うべきなのか。政府に見せてあげます」と話している。