中日春秋
2014年4月11日
 ちょうど二百年前の春、ウクライナの農村で、男の子が産声を上げた。タラス・シェフチェンコは農奴として生まれ、才能を認められて自由の身となったが、政治犯として流刑に。四十七年の生涯のうち、本当に自由だったのはわずか九年。そういう人生を歩んだ詩人だ
▼<ドニエプルの流れが/ウクライナから 敵の血を/青い海へと 流し去ったら/そのときこそ 野も山も/すべてを捨てよう。/神のみもとに 翔(か)け昇り/祈りを捧(ささ)げよう…だがそれまでは/わたしは神を知らない>
▼こういう詩を読めば、かの国で民族主義が高揚すればするほど、帝政ロシアの圧政の下、ウクライナ語で民族の悲劇と自由への渇望をうたったその名の輝きが増す理由が分かる
▼だが、彼はこんな詩も書いている。<なんのために 槍(やり)でロシア兵の肋骨(ろっこつ)を/犂(す)き返すようなことをしたのか。種を蒔き、/血で潤し、/サーベルで均(なら)した。/畑には 何が生えてきただろう。/芽生えたのは 毒草だ。/わたしたちの自由を損なう 毒草だった>
▼これらの詩を訳したシェフチェンコ研究家の藤井悦子さんは「ウクライナ人が真に自立し、解放されるためには、他民族との共存が不可欠なのだと、彼は考えたのではないでしょうか」と話す
▼隣人を憎む民族主義は、自らを害す毒草。きな臭さが増すばかりのかの地に、毒草が広がっているのか。