中日春秋
2014年1月18日
 「大自然の前で近代文明とはなんともろく頼りないものなのか」。一九九五年一月十七日の阪神大震災についてその人は書いている。物質的な繁栄を疑っていた。十六日、九十一歳で亡くなった小野田寛郎さんである
▼敗戦から三十年近い七四年までフィリピン・ルバング島のジャングルで「戦争」を続けた。日本の敗戦を信じなかった。「米軍のカイライ政権が続いている」「日本は新しい政府を満州に樹立した」と思っていたという
▼「どんな生き恥をさらしても生き延びよ。生きて任務を遂行せよ」。陸軍中野学校の教えも元少尉の長期間潜伏につながったのだろう
▼五十一歳で帰還した時、作家の阿川弘之さんはその旧陸軍式の敬礼を見て「大勢の人が不思議な感動を覚えたはずだ。それは、日本人がとつくの昔に忘れてしまつたものを見せられたからだ」と書いた
▼逆に小野田さんの方は経済大国となった戦後日本に「精神的断絶」を覚えた。「何でもカネ、カネの戦後日本人」。苦労の末、帰ってきたのは「なじめない祖国」。悲劇である
▼二枚の写真を十七日付夕刊で見た。一枚はジャングルを出た当時のもの。怖い目で敬礼している。もう一枚は最近のものか笑っている。なんでもカネの世の中は続く。それでも、柔和になった小野田さんの表情が戦後日本の良い部分を少しでも見た結果であることを祈りたい。