中日春秋
2013年11月9日
 島倉千代子さんの左腕には、大きな傷痕があったという。子どものころ、疎開先でガラスの大瓶に水を入れ運んでいて転んだ。割れたガラス片が腕に食い込み、医者から「切断するしかない」と言われた
▼四十七針も縫う手術で何とか左腕は失わずに済んだものの、感覚は失われた。ボール遊びも満足にできず、引け目から友だちと一緒に遊ぶこともほとんどなかった。自分に嫌気がさして、無口で陰気な子になっていった。そんな娘の心を、少しでも開かせようとしたのだろう。お母さんは歌をうたってくれた
▼お風呂場で、お母さんとうたう童謡や流行歌。いつの間にか島倉さんも、一緒にうたうようになっていった。幼い心のしこりを解きほぐしてくれたのは、お風呂場での歌だったと、自伝『歌ごよみ』に綴(つづ)っている
▼結婚の失敗や愛する人に裏切られての借金地獄、そして闘病…。仕事の無理がたたり、ショーの最中に高音部がうたえなくなったこともあった
▼シーンと静まり返った客席に、「ごめんなさい」と叫ぶと、島倉さんがうたえないところを聴衆が声を合わせてうたい「千代ちゃーん、くじけるなよぉ」と励ましてくれたという
▼歌に励まされ、そして、その歌が日本中の人々を励ましてきた。澄み切っていて、どこかはかなげで…。秋の青空のような声で、島倉さんは人生を歌いきり、天に召された。