中日春秋
2013年9月27日
筑波大学で都市計画史を教える松原康介さん(40)は、二〇一一年三月十一日を、シリアの首都ダマスカスで迎えた。大震災が起きたことをホテルのテレビで知り、帰国の途についた。シリアで内戦の発火点となる民主化デモが起きたのは、その直後だ
▼松原さんがシリアを訪れていたのは、日本では長く忘れられていた、ある建築家の足跡を掘り起こすためだった。番匠谷堯二(ばんしょうやぎょうじ)さん。一九九八年に六十八歳で逝去したこの建築家こそは、ダマスカスをはじめとした中東各地の都市計画を担った人物である
▼十五歳で終戦を迎えた番匠谷さんは、日本が戦禍からの復興の熱に満ちていた時代に建築の道に入った。若くして建築界の巨匠ル・コルビュジエにその才能を認められて渡仏し、都市計画の専門家として活躍するようになる
▼「彼の人生には戦争がつきまとっていた」と、松原さんは言う。六〇年代にはレバノンの首都ベイルートの都市整備に力を尽くしたが、街は内戦で破壊された。都市基本計画を描いたダマスカスもアレッポもシリア内戦で荒れ果ててしまった
▼だが、無に帰した訳ではない。松原さんは今、東北の被災地の復興計画に携わりつつ、シリアを再訪する日を待っている
▼「いつの日になるか、何から手を付けていいかも分からないが、大震災の復興の経験を、シリアで生かす日がきっと来るはずです」
2013年9月27日
筑波大学で都市計画史を教える松原康介さん(40)は、二〇一一年三月十一日を、シリアの首都ダマスカスで迎えた。大震災が起きたことをホテルのテレビで知り、帰国の途についた。シリアで内戦の発火点となる民主化デモが起きたのは、その直後だ
▼松原さんがシリアを訪れていたのは、日本では長く忘れられていた、ある建築家の足跡を掘り起こすためだった。番匠谷堯二(ばんしょうやぎょうじ)さん。一九九八年に六十八歳で逝去したこの建築家こそは、ダマスカスをはじめとした中東各地の都市計画を担った人物である
▼十五歳で終戦を迎えた番匠谷さんは、日本が戦禍からの復興の熱に満ちていた時代に建築の道に入った。若くして建築界の巨匠ル・コルビュジエにその才能を認められて渡仏し、都市計画の専門家として活躍するようになる
▼「彼の人生には戦争がつきまとっていた」と、松原さんは言う。六〇年代にはレバノンの首都ベイルートの都市整備に力を尽くしたが、街は内戦で破壊された。都市基本計画を描いたダマスカスもアレッポもシリア内戦で荒れ果ててしまった
▼だが、無に帰した訳ではない。松原さんは今、東北の被災地の復興計画に携わりつつ、シリアを再訪する日を待っている
▼「いつの日になるか、何から手を付けていいかも分からないが、大震災の復興の経験を、シリアで生かす日がきっと来るはずです」