中日春秋
2013年8月26日
 「取り壊しには反対です。津波に破壊された建物を『もの言わぬ語り部』として永遠に残してほしいと思っています。私たちは海で生活しています。今ここで生きていくためにも同じ過ちは絶対に許されないと思います」
▼岩手県釜石市鵜住居(うのすまい)の地区防災センターの祭壇に、身ごもっていた娘さんを亡くした母親のメッセージが張ってあった。遺族会や地元の要望を受け、市は解体を決めたばかりだ。遺族の中でも思いは割れる
▼防災センターは避難訓練に使われ、指定避難所と思い込む住民が多かった。遺族連絡会の調査では二百四十四人が避難し、二百十人が亡くなった。震災で最も多くの人が犠牲になった建物だ
▼二階の天井近くに浸水した跡が残る。わずかな隙間に顔を突き出せた生還者は屋上に逃げた人も含めて二十六人。割れたままの窓、はがれ落ちた天井…。「物言わぬ語り部」は雄弁だが、住民に辛(つら)い記憶を呼び起こす
▼宮城県気仙沼市の市街地に打ち上げられた大型漁船「第18共徳丸」は今も県外からの見学者が絶えない。市は「震災遺構」として保存する意向だったが、市民アンケートで賛成が少数にとどまり解体が決まった
▼何を保存し、何を取り壊すのか、被災地は決断の時期を迎えているのかもしれない。被災者の声にじっくりと耳を傾け、記憶を未来に伝えてゆく知恵を広く結集してもらいたい。