中日春秋
2013年4月26日
その歌声そのものが、昭和の記念碑だった。きのう九十四歳で亡くなったバタやんこと田端義夫さんの歌には、戦争と再出発という時代の喜怒哀楽が、封じ込められていた
▼♪名残りつきない 果てしない 別れ出船の 銅鑼(かね)が鳴る 思いなおして あきらめて 夢は潮路に 捨てて行く…。デビューの翌年、一九四〇年に出した「別れ船」には、戦地に赴く兵士の心が刻まれた
▼敗戦翌年のヒット曲「かえり船」は、傷ついた兵士を迎える歌になった。♪波の背の背に ゆられてゆれて 月の潮路の かえり船 霞(かす)む故国よ 小島の沖じゃ 夢もわびしく よみがえる…
▼田端さんは、復員兵を乗せた列車が到着する大阪駅のスピーカーからこの歌が流れるのに居合わせた。皆じっと聞き入り、涙を流す人もいた。その時、歌手になって本当によかったと思った、と自伝『オース!オース!オース!』に書いている
▼貧しい家に育ち、小学校は三年半しか通えなかった。ごちそうは、紅しょうが。それをおかずに白米ではなく、おからを食べた。苦労して育ててくれたお母さんが五五年に亡くなった時、田端さんは紅しょうがを大量に買い、薄く切りそろえて、棺(ひつぎ)の中に赤い花のように並べたそうだ
▼時代の哀(かな)しみに寄り添って歌い、そうすることで人々を励ました。あの笑顔を思いつつ、心中で花を手向けた人も多かろう。
2013年4月26日
その歌声そのものが、昭和の記念碑だった。きのう九十四歳で亡くなったバタやんこと田端義夫さんの歌には、戦争と再出発という時代の喜怒哀楽が、封じ込められていた
▼♪名残りつきない 果てしない 別れ出船の 銅鑼(かね)が鳴る 思いなおして あきらめて 夢は潮路に 捨てて行く…。デビューの翌年、一九四〇年に出した「別れ船」には、戦地に赴く兵士の心が刻まれた
▼敗戦翌年のヒット曲「かえり船」は、傷ついた兵士を迎える歌になった。♪波の背の背に ゆられてゆれて 月の潮路の かえり船 霞(かす)む故国よ 小島の沖じゃ 夢もわびしく よみがえる…
▼田端さんは、復員兵を乗せた列車が到着する大阪駅のスピーカーからこの歌が流れるのに居合わせた。皆じっと聞き入り、涙を流す人もいた。その時、歌手になって本当によかったと思った、と自伝『オース!オース!オース!』に書いている
▼貧しい家に育ち、小学校は三年半しか通えなかった。ごちそうは、紅しょうが。それをおかずに白米ではなく、おからを食べた。苦労して育ててくれたお母さんが五五年に亡くなった時、田端さんは紅しょうがを大量に買い、薄く切りそろえて、棺(ひつぎ)の中に赤い花のように並べたそうだ
▼時代の哀(かな)しみに寄り添って歌い、そうすることで人々を励ました。あの笑顔を思いつつ、心中で花を手向けた人も多かろう。