中日春秋
2012年11月13日
 いくら意見を戦わせても、議論がかみ合わない。そういう時は、議論の鍵となる言葉の定義が、相手と違っている場合が多い
▼例えば、ラケットの使い方を論じるのに、こちらはテニスのラケットについて話しているのに、相手が卓球のラケットを論じていては、何ともならない。まず「ラケットとは何か」の定義から始めないと、議論は空回りするだけだ
▼冤罪(えんざい)をどう防ぐか。法務省と議論をしようとしても話にならない。なぜなら法務省は「冤罪の定義」を持ち合わせないからだ。厚労省の文書偽造事件で元局長の無罪が確定した時も、東電女性社員殺害事件でネパール人の無罪が確定した時も、政府の立場は「冤罪を厳密に定義していないので、事件が冤罪かどうか言えない」だった
▼広辞苑に冤罪は「無実の罪。ぬれぎぬ」とあるが、政府も同様の認識かと国会で質(ただ)されて、<株式会社岩波書店発行の「広辞苑第五版」において御指摘のような記載があることは承知している>と、人を食った答弁書を出したこともある
▼きのう陸山会事件控訴審で小沢一郎氏が無罪を言い渡された。検察が検察審査会に、強制起訴を誘導するような虚偽の捜査報告書を出した揚げ句の無罪だ。法務省の辞書には「冤罪」だけでなく「反省」も載っていないようだ
▼市民と同じ言葉で語ろうとしないなら、司法改革などできはしない。