中日春秋
2012年7月24日
九番、ピッチャー、板東英二が八回裏に自ら決勝打を放ち、中日が巨人を下した日、三重の四日市で、老人が自ら命を絶った
▼一九六六年七月十一日の朝刊は、その死を大きく伝えた。七十六歳の木平卯三郎さんは前年、公害患者に認定された。薬代がかさみ、家計は苦しかった。お孫さんは高校に合格しながら進学せず「おじいちゃんの病気がよくなるように」と働き出した
▼「死ねば薬もいらないし、家族に迷惑がかからない」という意味の遺書があった。同居していた息子さん一家は結局、ブラジルに移住した
▼四日市にいく度も足を運んだ詩人の石垣りんさんは、一家の選択を詩にした。<さよなら日本/どうしても一家がしあわせになれなかった国よ、さよなら。/これが木平さん一家の答です。>
▼茶色くなった当時の新聞をめくるうち、ごく最近の記事を読んでいる錯覚に襲われた。汚染を恐れ児童の転出が続く小学校。生活難で、それもできない家族。汚染源となった工場の従業員の告白は、「いつだってやめたい。だけど安定した給料がはいるのは、この町じゃここぐらい」
▼石垣さんは、こんな詩も書き残している。<あやまち について/私たちはいつも感違いする/同じあやまちに神経質になる/そしていつも/新しいあやまちをおかす>四日市公害訴訟で住民が勝訴してから、きょうで四十年だ。
2012年7月24日
九番、ピッチャー、板東英二が八回裏に自ら決勝打を放ち、中日が巨人を下した日、三重の四日市で、老人が自ら命を絶った
▼一九六六年七月十一日の朝刊は、その死を大きく伝えた。七十六歳の木平卯三郎さんは前年、公害患者に認定された。薬代がかさみ、家計は苦しかった。お孫さんは高校に合格しながら進学せず「おじいちゃんの病気がよくなるように」と働き出した
▼「死ねば薬もいらないし、家族に迷惑がかからない」という意味の遺書があった。同居していた息子さん一家は結局、ブラジルに移住した
▼四日市にいく度も足を運んだ詩人の石垣りんさんは、一家の選択を詩にした。<さよなら日本/どうしても一家がしあわせになれなかった国よ、さよなら。/これが木平さん一家の答です。>
▼茶色くなった当時の新聞をめくるうち、ごく最近の記事を読んでいる錯覚に襲われた。汚染を恐れ児童の転出が続く小学校。生活難で、それもできない家族。汚染源となった工場の従業員の告白は、「いつだってやめたい。だけど安定した給料がはいるのは、この町じゃここぐらい」
▼石垣さんは、こんな詩も書き残している。<あやまち について/私たちはいつも感違いする/同じあやまちに神経質になる/そしていつも/新しいあやまちをおかす>四日市公害訴訟で住民が勝訴してから、きょうで四十年だ。