中日春秋
2012年7月2日
 ウクライナにジトーミルという町がある。人口三十万弱。チェルノブイリ原発から南西百四十キロにあるこの町を、事故の十年後に訪れたことがある
▼中心部の広場に面したビルに大きな電光掲示板があった。時計か気温計かと思ったら、違った。その時々の放射線量を市民に知らせるためのものだった
▼晴れて、気持ちの良い乾いた風の吹く日に、掲示板の数値が上がる。大地の放射性物質を浄化するがごとく吸った木々が山火事で焼けると、汚れた灰が風に乗って運ばれるのだ
▼ジトーミルの病院では、生まれながらに障害のある子どもが増えていた。汚染との因果関係はどうなのか。現地で専門家に聞いたが、「はっきり言って分からない。妊婦が汚染を恐れ続けていればストレスで免疫力が下がるのかもしれない。分からないことばかりなのです」
▼分からないのに分かったような顔をして、起こりうる事故を絶対起こらないと「想定」して、放射線量の掲示板が、この国にも立ち並ぶようになった。にもかかわらず、抜本的な安全対策を棚上げにしたまま、大飯原発3号機の原子炉がきのう夜、起動された
▼ボブ・ディランは『風に吹かれて』で<人々の叫びを聞くために、いくつの耳が必要だというのか。答えは風の中にある>と歌った。汚された風が何回吹けば、未来のための答えが見つかるというのだろうか。