中日春秋
2012年5月27日
 中国の古典に由来する<瓜田(かでん)に履(くつ)を納(い)れず、李下(りか)に冠を正さず>という戒めは、万人向けとは言えない気がする
▼ウリ畑で靴が脱げたら履き直すし、スモモの木の下にいて頭の冠がずれたら直すのが普通だ。それを「するな」というのは、無論、その仕草がウリやスモモを盗んでいると見なされかねないから
▼問題は、人にどう見えるかで、盗む気のあるなしは関係ない。いささか被害妄想的でもあるこの金言の前提は、他者に疑念は持たれたくないとの恐れを持っていることで、それがない向きには響きようがない
▼最近、国の原子力委員会が核燃料サイクルの今後に関する報告書原案を、日本原燃など推進側だけを集めた勉強会で事前に見せていたことが分かった。報告書案は結果的にサイクル推進に有利な表現に直された
▼また、原子力委の事務局に電力会社や原発メーカーなどからここ五年で延べ二十人もの出向者が来ていたことも判明。ほかにも国や地方の原発関連の委員会などで委員を務める学者が原発業界から寄付を受けていたケースなどが次々明らかになっている
▼この種問題への答えは、いつも、声にも人にもカネにも「影響されていない」としれっとしたもの。いまだ国策を担ってきた驕(おご)りの中なのか、原発ムラは国民に疑われることなど少しも恐れていない風だ。履だ冠だと言っても、馬耳東風である。