中日春秋
2011年12月29日
 もう、あと二日。そわそわしている人も多いのではあるまいか。大(おお)晦日(みそか)に当せん番号の発表がある年末ジャンボ宝くじのこと
▼もっとも、一等を手にできるのはほんの一握りの幸運な人。<一の富どこかの者が取りは取り>という江戸川柳も、自分はおろか、周囲にもそんないい目に遭った人はいないのだが…という感慨を含んでいる
▼だが、こんなケースもある。先ごろ当せん番号の発表があったスペインの宝くじでは、賞金の総額で七百億円以上になる一等千八百枚が、すべて、人口二千人のグラネンという小さな村で販売されていたというのである
▼つまり、宝くじに外れた村人からすれば、そこらじゅうの知り合いが<一の富>を取る、という状態になったと考えられる。さてさて、<どこかの者が取りは取り>と納得しているのと、どっちが心穏やかなりや
▼宝くじといえば、話題の高齢詩人柴田トヨさんの新刊『百歳』(飛鳥新社)に、『倅(せがれ)に 4』という素敵(すてき)な詩がある。その一連を引くと<職も 転々とかわり/いい事がなく/宝クジを買っても/当たったことがない/そう 嘆くけれど/しっかり者の/連れあいにめぐまれ/当たったじゃないの>
▼蓋(けだ)し、誰しも、周囲をよく見れば、既に宝くじより大きな<当たり>に恵まれていたことに気づけるのかもしれぬ。年末ジャンボがはずれでも、まあいいか。