中日春秋
2011年11月24日
 昔、ある寄席の大喜利で客席に「なぞかけ」のお題を聞いたら、出たのが、「葬儀屋」。難題に、みな首をひねる中、一人の若い噺家(はなしか)がさっと手を挙げた
▼「葬儀屋とかけまして、ウグイスと解く」「その心は」「なくなくうめにゆく」。無粋ながら、泣くと鳴く、「埋め」と梅が掛かっている。その場にいた柳家小三治さんが、後年、「なぞかけの名作」と称(たた)えていた。その噺家とは後の立川談志さんである
▼あの「忠臣蔵」では、赤穂藩三百人の家来のうち、討ち入ったのは四十七人だけ。逃げちゃったほかのやつらは比べられてつらい思いしたはずだ。落語はね、この逃げちゃったやつらが主人公なんだ…。かつて弟子の談春さんに語った話という
▼談志さんの有名な定義、「落語とは人間の業の肯定である」が重なる。残念だが、きのう、訃報が伝えられた。天才落語家、いや全身落語家の死というべきか。現代落語の大事な部分が欠けたような思いさえする
▼病に苦しんだ晩年、声が出ず、弟子らの出演でしのいだ落語会でのことだ。途中、舞台に出てきて客にわび、出せない声、独特の言い回しで心の内をさらした。曰(いわ)く、俺は談志に聞かせるために落語をやってきた。でも最近、その談志がいない…
▼そして、天を仰ぎ涙声で叫んだ。「談志ぃ、どこ行っちゃったんだよぉ」。あのしゃがれ声が耳を離れない。